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モネ展、最後の印象派展 [美術・博物館]

 マルモッタン・モネ美術館所蔵のモネ展で、これまで気づかなかった発見があった。ある意味、印象主義を初めて体感したとも言える。対象を時間や季節によって描きわけたモネの絵画はこれまでも見てきたが、今日の見え方は、今までになく、生き生きと感じられた。展示室の照明など、外的な要因なのだろうか。ジヴェルニーの黄色いアイリス畑は、本当に風に吹かれて花が揺れているように見え、オランダのチューリップ畑も自然の色彩がすばらしい。雪の効果、日没も淡い夕日の朱が、肉眼で見ている風景のようだった。
 また、モネが集めたコレクションが素晴らしい。音楽家が選ぶCDなど、音源が素晴らしいのと同様、芸術家が集めるコレクションは本物なのだ。ブータンもドラクロワも選りすぐりのものに感じられた。ノルマンディーの風景では、日没、ヨットが、離れた右方向から見ると、色彩がはっきり見えてきて、光が眩しい。サン=ラザールの白い蒸気も、右方向から離れてみると、立体的に、はっきり見えて不思議だ。晩年の作品では、日本の太鼓橋が沢山展示されていて、季節、天気、時間、気温や湿度、空気の違いが感じられ、前衛的だ。晩年の作品は、生前に人目に触れなかったと聞くと、生き残った、年老いた天才の孤独を感じる。少し荒い筆づかいに、やるせなさ、怒り、悲しみなどが想像され、極限の印象主義が後世の人の様々な共感を呼ぶ。モネは本当に天才なのだと実感した。
 今回も誘ってくれた、フランス通の友達も、黄色いアイリスが気に入ったという。モネ展が空いており、時間が余ったので新宿へ移動し、損保ジャパン美術館の、"最後の印象派"も見てきた。個人蔵の初めて見る作品ばかりだったが、ヴィクトル・ユーゴー80歳を祝う祭りの絵が印象に残った。最後は、 美術館所蔵のセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンを鑑賞し、印象主義の日が暮れた。(G)
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初演150年『トリスタンとイゾルデ』講座Liebestod [その他]

 トリスタンとイゾルデに限らず、ワーグナー作品の第一印象の段階で、場面の音楽や台詞が、直感的に何か矛盾しているような、よく分からないと疑問に感じたことは、これまで何度かあった。でもいつの間にか、そういうものだと受け入れてしまったように思う。特にトリスタンは、深入りせずに来たため、今年になって、いろいろ学んだことがある。
 ワーグナー協会での、池上純一先生(埼玉大学名誉教授) のご講義は、毎回感動的で、興奮してしまう。今日のテーマはLiebestodのsの意味の分析。個人的には、初めてLiebestodという言葉を聞いたとき、なんて悲しく美しく怖い言葉だろうと思った。そして、いつしか現世で成就しない愛=死を意味することだと一応受け入れてきた。初めて台本を読んだ時、一幕は強い愛を感じたが、2幕になると意味不明で、文の構成が解読できず、その単語が主語か目的語なのかわからず、翻訳について行けなかった。これもいつしか諦めるようになった。少なくともこの二点について、今日先生のお話を聴いて、納得できた。
 まず、二幕が分かりにくい理由は、台詞が「思想詩」であるからとのこと。出てくる夜の概念はニーチェと共通する。日本語でも詩は、読む人によっていろいろな解釈があることには馴染んでいるが、外国語の翻訳だと、どうしても意味をはっきりさせたくなるので、言葉を補わねばならず、曖昧のままの翻訳は難しいと、先生は仰る。母国語であれば、文法的に説明できずとも、何となく分かるものだ。またドイツ語特有の動詞と連動したsich3格の使い方があるが、それとは違うワーグナーの使い方に注目し、心の内を探る試みは、興味深い。また、dirは自分とあなたがいっしょであることを強調しているというのも、なるほどと思った。他に、言葉の放り出しや、造語、意外な連想を導く言葉など、幾つもの特徴を紹介して下さった。

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新国立劇場ーラインの黄金③(楽日) [オペラ(国内)]

 初日と比較すると、オケのバランスは多少良くはなったと思うが、一階席体験者に聞いたところ、オケの音が弱く聞こえるので、一階席で最善に聴こえるよう音響に合わせたのかもしれないと。それなら仕方ないが、4階席では、残念ながら、緩く密度は薄い大きな音が気になった。
 4階客席で、終演後後ろの席の人に、怒鳴りつけるように激しく苦情を言っている男性を見た。拍手で細かい話までは聞こえて来なかったが、どんな理由だったのだろう。休憩がないので、途中で言うチャンスもなく、あんな形になってしまったのか。本人は言うだけ言うと立ち去ったが、後味の悪さが残った。
 ステファン・グールドのローゲ像は、演出上もキャラクターが目立つ存在で、演出の台詞のような、表現力豊かな歌唱を楽しませてもらった。上り調子のグールドを、向こう3年間、新国立劇場リングで聴けるのは楽しみだ。(G)
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新国立劇場ーラインの黄金② [オペラ(国内)]

 初めてZ券に当選した。何故か第3希望日だ。貴重な土日公演日なのに、第1第2希望を合わせても32人に満たなかったということか?ラッキーだが、オケの練習をサボることになった。
 4階Lの舞台に向いている席では一番前の壁側の席で、下手側半分は見えない。ローゲのグールドが下手で歌うことが多く、ちょっとストレスあり。そのグールドがさすがの歌唱で、余裕の美声かつ見た目も貫録十分で、完全にヴォータンを食った感じ。この面子の中で頭抜けている。ただ、バイロイトのトリスタンと同じというか、全体の印象が被っている感あり。
 初日緊張と力みのあったフローとドンナーの日本人は、かなり普通になったし、席によるのかもしれないがオケのバランスも大分改善され、アルベリヒの高笑いもはっきり聞こえた。
 ただ、演出がつまらないというか何も無い。殆んどセットの無い広い空間を持て余し気味の歌手。と思えば、ニーベルハイムはかなり過剰でキッチュな造りで一貫性がない。ローゲやファーゾルトの性格付けなど、元の演出ではもっとはっきりしていたのだろうが、何せ古くてご本人もいない訳だし。一部の役の衣装がボクサーとか道化師とか消防士のコスプレになっているのも、意味があって本当は演技なりで表現しなければならないのだろうが、もう時代に合わないということか?
 アルベリヒの手首を切り落として指輪を奪ったり、妙にリアルな部分もあれば、最後のヴァルハラ入場の時間を持て余したような動きもあり、初演当時と違ってしまっているのだろうが残念だ。
 ヴァルキューレ以降が心配だが、骨格だけ残して、大幅に現代感覚を取り入れるよう改変した方が良いのでは?無理な話だが...(B)
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新国立劇場ーラインの黄金(プレミエ) [オペラ(国内)]

 1996年ゲッツ・フリードリヒがフィンランド国立歌劇場で演出した、ラインの黄金が、新国立劇場で始まった。舞台は明るく、白が基調になっており、ローゲのみ赤、エルダは、赤黒だったように思う。4階一列目での印象だが、オケの音が全体的にとても大きいのに驚いた。始まりのCbのEsがまず大きい。徐々に音が重なっていく感じではない。バイロイト以外でリングを聞くのは、2012年以来で、自分の耳が変わってしまったのかもしれないが、金管は鳴らし放題、弦は聞こえない、でも、歌は聞こえる、不思議な空間だった。オケが程よくミックスされた音に慣らされていまい、常にドッカン、ドッカンする音に抵抗を感じてしまうのか。
 歌手は、ゲストも日本人も健闘していたと思う。ヴォータン役ラジライネンもアルベリヒも良かったが、ローゲ役シュテファン・グールドが登場すると、聴衆を釘付けにし、舞台を独り占め、断トツの美声を聞かせてくれた。初め、バイロイトで聞き慣れたトリスタンの声だと一瞬とまどったが、軽やかなローゲ役は余裕たっぷりだった。また、これまで気づかなかった、甘い声ももからんで、本当に表情豊かな声の演技だったと思う。言葉もとてもはっきり聞こえた。エルダ役クリスタ・マイヤーは、バイロイトのブランゲーネだ。若いが、深みのあるエルダのイメージだった。妻屋さんは、いつも上手で、日本人が活躍しているのを確認できるのは楽しい。ファフナー役はやはり、歌い憎いメロディーラインなのだと、はっきり認識した。バイロイトでの疑問が解け、音が跳躍せず、これは意図的に、知性を欠いたイメージづくりなのだろう。さすがの作曲テクニックだ。ラインの乙も4階席では良く聞こえた。全体的に、一階席での印象を、今度仲間に聞いてみようと思う。
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クロネコヤマト 新宿で長蛇の列 鼻を押すと、ネコが鳴いて、口からプレゼントが…
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