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Berliner Ensemble 三文オペラ [演劇]

 ベルリン⇔ライプツィッヒ往復は3回目。9ユーロ市内交通チケットも、今日から七月だ。
 バリー・コスキー新演出のBerliner Ensembleの三文オペラは、年末にニューヨークタイムズで賞を取っており、私も12月にチケットを買っていたのだが、こちらもキャンセルしたというか、名義書換えが可能だったので、ベルリンの友人にあげた。そして彼女ももう一度見たいというので、今期最終公演のチケットを買た。
 年末公演とは少し変化していて、冒頭の場面で、ベッキーメッサーが、観客席の多分(俳優仲間)か知り合いか)何にかを指名をし、歌わせたり、質問したりした。オーケストラメンバーは指揮者を入れて7人、指揮者は、ピアノ、チェンバロを弾き振りし、役者がピット内のメンバーと話す場面がたくさんあり、劇場の一体感が楽しい。
 結婚したのに、家具が無いとポニーが嘆く場面では、こんな素敵なオケを用意したじゃないかと、ベッキーメッサーが応え、オケメンバーが立ち上がり、改めてて、会場の拍手を受ける。その後も、度々会場に拍手を促すことがあった。
 今回のベッキーメッサーは、10年前に見た歌舞伎俳優のような色男では無く、ダメ男だが憎めないダサい奴という感じだった。ストーリーは知っている前提の心理劇というか、感情表現の芝居で、俳優たちの動きの端々にまで、バイロイトのマイスタージンガー同様、人間らしさが感じられた。
 一つ、確信はないのだが、ベッキーメッサーが逮捕される場面の警察車輌のサイレンは、人の声の大合唱だったのではないかと思う。唯の録音で、あんなに長時間サイレンを鳴らすだろうか。人が声を発する時の体力の限界まで、大勢でサイレンを奏でたのだったら最高だ。
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ベルリナーアンサンブル―DIE RÄUBER(シラー・群盗) [演劇]

 朝HPではチケットがあったので、一時間前に当日券売り場に行くと、売り切れでキャンセル待ち。6~7番目だったが、待つことにした。途中一人チケットを売りに来たらしい人が見えたので、次のチャンスを狙うべく、窓口近くに移動した。20分前、キャンセル待ちの人に割り当てが始まったころ、人混みの中、一枚あるが、誰かいるか?と男性がチケットを掲げた。誰も反応しないので、警戒しながら近づき、交渉成立。6列目に座ると三人並びの内側席。お年寄りのお母さんをベルリン在住の息子が招待したとのこと。男性は赤い縞のシャツを着て、お婆さんもお洒落で、美しいドイツ人母子だった。
 客席には年配のご夫婦と、引率された若者のグループが目立った。シラーであっても、舞台は過激。作品初演時の人の驚きに匹敵するほど、お年寄りは驚いたのではないだろうか。この年になって、舞台上から、巨大な扇風機で客席にゴミや塵を撒かれるとは!お隣の綺麗なお婆さんも、口数が減っていった。
 話の筋は台本どおりだが、盗賊は、血だらけのマフィアの黒服美男子集団だ。弟フランツ役Mosbachは、色々な見た目の人間を演じて、見た目に囚われるなと言っているようだ。後戻り出来ない悪の道へ足を踏み入れた兄の悲哀と、弟の嫉妬と策略、日本では絶対ありえない凄い舞台も、たまにはよろしいということにしよう。
 観光客らしい初老夫婦がいかにもベルリナーらしい服装の同世代夫婦に、どう思うかたずねる場面を見たが、ここはベルリンよとあっさり。終演23時、フリードリヒシュトラーセからトラムでオラニーレンブルガーシュトラーセ、ハッケンシャマルクト、ローゼンタールプラッツと、ここ10年で知った地域を通り抜け、あれこれ記憶の甦る、変貌する町の風景を見ながら帰宅した。(G)

Mit: Roman Kaminski (Maximilian, regierender Graf von Moor), Felix Tittel (Karl, sein Sohn), Matthias Mosbach (Franz, sein Sohn), Antonia Bill (Amalia von Edelreich), Luca Schaub (Spiegelberg), Raphael Dwinger (Schweizer), Felix Strobel (Razmann), Sven Scheele (Schufterle), Anatol Käbisch (Roller), Jaime Ferkic (Kosinsky), Fabian Stromberger (Schwarz), Uwe Dag Berlin (Hermann, Bastard von einem Edelmann), Peter Luppa (Daniel, Hausknecht des Grafen Moor), Michael Kinkel (Ein Pater)

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TRISTAN ODER ISOLDE ? Uwe Hoppe(プレミエ)の印象 [演劇]

 Uwe Hoppe / Studiobuehne の "TRISTAN ODER ISOLDE? Wagner untold " のプレミエを見た。シュタイングレーバーパレスの中庭に、特設テント小屋が建てられる。今年はR.Wagner、13世紀の詩人Gottfried von Strassburg 他の原作を自由に取り入れて作られた作品 。題名だけではどんなパロディーなのか、想像できなかったが、全体を見終わって、"oder"に意味があるというより、"und"の意味を考えてみようということではないかと思った。後で見るとプログラムにもヒントがあった。
 トリスタンとイゾルデは、媚薬により、トリスタンがイゾルデに対して抱くべきミンネから外れ、モラルを欠いた、しきたりからはみだした愛を体現してしまう。でも、愛は永遠ではないという大前提で、共に在る"und"の瞬間にどんな意味があるのだろう。愛とはどんなものか…「愛の死」に向かうまでを、人と人との結び付き"und"から、考察してみようといったところではないかと思う。何日か後には新聞評が出るので、全然的外れかもしれないが…
 ワーグナーのトリスタンとイゾルデと大筋は同じ。およそ、最後はトリスタンに折り重なってイゾルデも死ぬが、途中笑ってしまうことが随所で起こる。媚薬も飲むが、それで一体何が解決するのだとうという暗示もありそうだ。例えば、夜だけ会い続け、二人が共白髪になったとして、老夫婦のずれた会話があったり、世代の違う二組の男女の日常会話を見せたりする。トリスタンと周りの人たちとの人間関係も考察の対象だ。本質的には、ワーグナーの作品解釈の延長なのかもしれない。
 マルケ、クルベナール、メロート、ブランゲーネの役所は違和感ないが、メロートが常にマルケにご注進で、キャラクターが強調されている。原作の台詞と、おちゃらけた編曲の音楽が流れると、本物が見たいと、どうしても、そちらに意識が行ってしまう。上演時間2時間20分、途中休憩あり。
http://www.studiobuehne-bayreuth.de/tristan.html

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新国立劇場ー三文オペラ [演劇]

 きちんと作品を読んでおらず、日本語で見るのは初めてだった。演出は原作に忠実に、楽器の編成もオリジナル通りで、持ち替えなしの9人の構成だったそうだ。
 ベルリナーアンサンブルと比較することも無いが、メッキーメッサーのカリスマ的な美しさを日本でも見られるのかと期待したが、当然それぞれ舞台は異なり、歌がもう少し上手だったらもっと良かったかなとも思うが、ミュージカルでもオペラでもない、ちょうど良い雰囲気とも言える。日本語で懸命に、登場人物のキャラクターや、複雑な台詞を表現する役者さんたちは、さすがだと思った。
 時代が流れても、社会に挑戦的なドイツの現代演劇の伝統はずっと受け継がれており、ブレヒトはいいなあと思う。新国立劇場で以前取り上げた、ベルリナーアンサンブルの公演映像がロビーで流れており、懐かしかった。また日本語版で上演してもらえたら嬉しい。
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Richard! Mein Leben! 2013 [演劇]

 昨年プレミエの日に見たが、もっと近くで見たいと思い、今年も行った。暗くて暑いテントでの上演だが、さすが演劇、言葉が凄くよく聞き取れて、行ったかいがあった。
 ドイツでは小さな講演会や、朗読会が頻繁にあり、マイクは使わず、肉声で話す機会が多い気がする。日本では、聞こえないと苦情が出るので、すぐマイクを使うが、こちらでは、音楽ホールが講演会場にもなるため、私には話す声が響き過ぎて、慣れるまでしばらく聞き取れないことがある。コアザールの朝のリング解説もマイクなしなので、始まってから、肉声が直接届く前の方に座るべきだったと気づいた。バウムガルテンの時は、皆横並びなので、ほとんど新しい話はわからなかった。日本では、響く会場を探すのが大変なのに、響きが言葉を聞くのに邪魔になるとは、皮肉な話だ。
 この演劇では、4列目の席で、良く聞こえたので、去年よく分からなかったところも、ほとんど納得できた。
 昨年から、ワーグナー生誕200年を目指して始まった演目であることは明らかだったが、ヴァンフリートが工事中の今、コジマとジークフリートが、これからどこで暮らしたらいいのだろうと話すところが、昨年より、切実に感じる。バイロイト音楽際の資金問題では、今年初期三部作が上演されたオーバーフランケンハレが、収容人数が多く、第二の祝祭劇場になるのかなどと、笑いを得ていた。ワーグナーファンばかりが来ているわけではなく、トリスタンや、ワルキューレを連想する場面は昨年のプレミエほど、反応がなく、後半、色々な歴史上の人物が出て来てからの方が、受けていた。
 コジマはワーグナー命!で、夫のビューローには、家庭を守れと言われ、ワーグナーに走る場面もよく出来ている。ワーグナーのそばで一生懸命日記を書くが、最後に、あとは、好きに書いてくれとワーグナーに言わせたり、ヴェーゼンドンク夫人とのことを踏まえ、ワーグナーの人物像を演技で見る面白さは、日本ではまだ味わえない。
 Geld! とKinder, schafft Neues! というワーグナー自身から引き継いだ、資金繰りと新し物好きの精神、創造性の課題は、いつまでも残りそうだ。(G)
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Leubald ワーグナーの最初の演劇 [演劇]

 ワーグナーが13~15才の時に書いた、最初の劇で、ほとんど上演されていない。Steingraeber の Barockgarten とはどこだろうと思ったら、中庭での野外公演だった。
 ロイバルトが次々人を殺してしまうという、非道な話だが、ここでは喜劇仕立てで、登場人物のキャラクターが、とてもはっきりしており、分かり安く、安心して笑える雰囲気だった。時代設定も衣装も古めかしく、どんな場面も、本当によく、庭の風景と調和していたと思う。使った道具は、居酒屋風の木製のテーブルと椅子、ロイバルトが殺人に使う刀、小道具の石くらいだ。魔女の化粧と杖は、とても良くできていた。役者と客席との距離が50cmぐらいまで近づき、激しく走り回るので、舞台の中心になっている、庭の高い木からすももくらいの大きさの果実が、ポトポト落ちてきて、当たったら怪我しそうなくらい、緊迫感があり、役者の体力に拍手を送りたい場面もあった。
 背後にワーグナーの音楽が使われ、ドアをあけはなした、屋内のピアノで、それぞれの場面に合った音楽が演奏される。それだけでも、心地がよい。途中から、ロイバルトの剣が、ジークフリートのノートゥングのような大きいものになり、ハムレットとともにジークフリートとイメージがダブってくる。
 最後恋人のAdelaideも刺してしまうが、その死を眠りに重ねて、彼女の死によって、眠りという最高の魂の安らぎを得るという、救済の意味がこめられているようだった。幕切れの音楽は勿論、Liebestod 。20時開演で、上演時間90分、終わるころちょうど薄暗くなり、月も顔を出し、ワーグナーの余韻たっぷりの、夜の始まりだった。(G)
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マリオネットテアター タンホイザー OPERIA [演劇]

 バイロイトのマリオネットテアターの今年の演目は、タンホイザー。
 この日、東日本大震災で、住まいをなくした、岩手の身障者の子どもたちのための、チャリティー公演があり、私も参加させてもらった。
 人形も勿論、よくできているが、使われたCDが素晴らしい。バレンボイム指揮、ベルリンシュターツオパーの演奏で、ザイフェルトがタンホイザー、ヴェーヌスがヴァルトラウトマイアー、ルネパペ、ハンプソンなど、皆声が若々しく、私はまだ、ワーグナーを聴いていない頃の演奏で、とても感動してしまった。勿論カットして、半分位になっているが、PAも素晴らしいので、全曲聴きたいという衝動に駆られる。押し寄せる波のような音楽の起伏が、「心を鷲掴みにする」という言葉が当てはまる気がする。当然今のバレンボイムより、ずっと若々しく感じられ、何故か羨ましい気がする。
 休憩時間には、飲み物と美味しいちょっとしたものが出るので、気持ちもお腹も満たされ、とても楽しいところだ。祝祭期間にも公演はあるので、是非覗いて下さい。(G)
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「世界の演劇の今」Ⅲ-ドイツ [演劇]

 新国立劇場の催しとして、「世界の演劇の今」Ⅲ-ドイツ-講師:新野守広先生(立教大学教授)という講演を聞いて思ったこと。
 ベルリンの3つのオペラの財団運営については、以前たっぷり話を聴く機会があったが、今日でも、演目の競合など、問題は色々あるのが現実だ。
 この日改めて実感したのは、オリジナルと違うと、読みかえの舞台演出について、観客がどんなに不満を言っても、ドイツの劇場は社会に対するメッセージを発信する場所である権利を保証されていることだ。
 文化・教育の予算に、国ではなく地方税を使うののも、州の独立というそのままの意味で理解していたが、そこにも、全体主義の歴史への反省が反映されていたのだ。娯楽の提供ではなく社会へ訴える場という個人の観点で、オペラも演出されるのがドイツであり、今後も続くだろうと観念した。
 ベルリンの演劇は、ベルリナーアンサンブルの、ブレヒトの人気演目を中心に6作品ほどしかまだ見たことがなく、涙が出るほど大笑いしたもの、じっくり聞き入ったもの、話のツボが理解できなかったもの、俳優そのものの魅力に目覚めたもの、どれも楽しかった。ウィーンではシェークスピアをかなり見たが、演劇も音楽同様、シェークスピアはセリフを熟知した上で見なければ、ダメだと痛感するにとどまった。つい音楽会の方へ足が向いてしまうが、日本で演劇に慣れたら、ベルリンのドイツ座、フォルクスビューネなどにも、行ってみたい。(G)

Richard! Mein Leben! [演劇]

 プレミエを観てきた。今年のワーグナーのコメディは、ワーグナーがコジマと出会ってからの周囲との関係を語ったもの。ワーグナーは一つ所へ留まることなく、いつもSchaff Neues! と一人でどこまでもつき進んでいこうとする。舞台設定は、祝祭劇場の舞台天井裏、始まりは、コジマとジークフリートが、これが最後の上演なので、またどこかで新しい生活を始めよう、アフリカか、日本か..といきなりびっくりした。劇場を建て替えるとか、新しい大きくするとかいう伏線なのかなと後で思った。
 コジマはハンス・フォン・ビューローの妻として、リヒャルトの伝記を執筆し、秘書のように立ち働いている。勿論、リヒャルトとは特別な関係だ。日本的に言うと、リヒャルト"我が命"ということで、身も心も我が人生全てを捧げている。後年コジマはバイロイトでの落ち着いた生活を望んだが、その間もワーグナーは本当にチョロチョロ各都市を歩き回っていたようだ。そこでも、次は、アメリカ?東京?と台詞が入り、日本人がいかにバイロイト好きかうかがえる。せっかちなワーグナーが言葉巧みにお金の無心している様は、想像をかきたてられる。
 そもそも、日本の演劇で、ワーグナーの生涯が取り上げられることは、あったのだろうか。舞台上には、他にミンナ、ヴェーゼンドンク夫人、リスト、ニーチェ、ルードヴィヒ2世(他)も登場する。ヴェーゼンドンク夫人とは、向かい合ってトリスタン2幕の歌詞を語る。飲み物を渡され、彼女に、先に飲んでみろというあたりは、色々連想できる。俳優の外観もキャラクターもイメージ通りなので、本当にこんな人達だったのかもしれないと思ってしまう。最後、子孫も登場し、カテリーナ・ワーグナーのしゃがれ声も、本人そっくりだった。落ちは、子々孫々へSchaff Neues! というメッセージだった。
 例年、テーマはワーグナー作品の登場人物のパロディのようで、去年はタンホイザーとバイロイトをかけたTannreuyherだった。ワーグナー生誕200年を前に、本人を描いたということなのだろうか。この舞台では、ワーグナーの音楽は、オペラの場面を想像させるようなところで、微かに流れる程度だった。(G)
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ニコラウス・バッハラー氏(ワーグナー都市ミュンヘン-舞台芸術の今) [演劇]

 ニコラウス・バッハラー氏(バイエルン国立歌劇場総裁)をお迎えしての国際シンポジウムということで、聴講に行った。しかし2時間で基調講演、通訳付でいくつかの質問を投げかけるというという構成は時間が足りず、質疑応答も無かった。山崎太郎先生、池上純一先生が準備された「ワーグナー都市ミュンヘン」という視点について、バッハラー氏は距離を置いておられるようで、総裁としての「舞台芸術の今」ついてのお考えを拝聴することになったと思う。
 印象に残ったことの一つは、「伝統と革新」について、ワーグナー自身が革新的演出家であったことをふまえ、時代に合う新解釈は常に必要だということ、今日、視覚的Regietheaterについては批評が激しいが、実は音楽の解釈も変化しており、専門知識が必要なため大きな議論にはならないが、Dirigententheaterと言われないのが不思議だというようなコメントがあった。音楽と舞台は別ものとして観て聴くのが普通かと思っていたが、劇場総裁として並列に捕らえているのだというのが新鮮に思えた。総じて、斜に構えたコメントが多かったように感じたのは、勘ぐれば来日公演についての質問をシャットアウトできるか、実は針のむしろだったのかもしれない。私は公演に行っていないけれど・・・(G)
 
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Thannreuther,Meistersinger [演劇]

 Steingraeber & Sohene という1852年設立のピアノ製作所が、フリードリッヒシュトラーセにある。外から見ると、新しいピアノも歴史的なものも展示されているようだ。ワーグナーやリストも弾き、今日でも熱狂的なファンがいて、年約60回ここでコンサートが開かれている。
 しかしこの日私は、ピアノコンサートに行ったのではなく、その敷地内にある仮設の演劇小屋へ行った。いつも音楽祭の時期にワーグナーの風刺劇が掛かっているらしい。今年は新演出の Thannreuther,Meistersingerそのプレミエだった。
 BayreuthのReuthは元は開墾地という意味で、Thannreutherという音はBayreuthにひっかけてあるのではないかと思う。どちらも女性をめぐる歌合戦ということで、話が交互に出てくる。混ざることはない。マイスタージンガーの方が多かったし、パロディを作りやすいだろうと素人としては思うところ。
 登場人物はオリジナルと同じ、キャラクターもそこそこだが、マイスタージンガーに特別に出てくるOberfrankenVaterが観客にはとても受けていた。演劇がいいのは、見た目が本当にキャラクターを表現しているところではないかと思う。
 最後ヴァルターの歌詞を盗んだベックメッサーの奇妙な歌を、ヴァルターが奇抜で素晴らしいと褒めちぎる。タンホイザーは袋叩きにあう。
 いろいろ可笑しいとことはあったが、マイスタージンガーの試験をダーヴィッドがヴァルターに説明するところで、あらゆるワーグナーのライトモティーフを歌えなければならないと、いくつか口ずさむところが、私には一番可笑しかった。後でハンス・ザックスもほんの少しだが、ヴァルターに確認するように歌う。もっといろいろ聞きたかった。
 アイデアとしては、ハンス・ザックスもベックメッサーもPCを使っている。夜ベックメーッサーがエヴァと間違えて窓に向かって歌うとき、携帯電話を掲げている。
 明かりをとるのと、例のハープの伴奏も携帯音で流れてきたように思う。夜警は工事の際メガホンをかざして、迂回指示する時のような、蛍光ジャンバーを羽織っていた。
 吹くものは、勿論ブブゼラ。パウゼの連絡も終幕のときもブブゼラが活躍した。台詞も相当面白く言い換えられていて、大笑いが起きていた。普通の台詞のところは何とか分かるが、相変わらずドイツ人が笑う肝心なところはついていけない、・・・ということでした。(G)
町では、アフリカ.・カリブ海祭りというのをやっていた
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Steingraeber & Sohene劇場の建物
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門の中に仮設の劇場
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全部で99席
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エントランスのオブジェ
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フリードリッヒ・シュトラーセからの入口
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Oberammergauer Passionsspiele 2010(オーバーアマガウ キリスト受難劇) [演劇]

 朝強い雨音と寒さで目がさめた。今日はミュンヘンからオーバーアマガウに行く。ミュンヘン中央駅からMurnauで一度乗り換え、約2時間、10時45分にチケット売場に着いた。
 土砂降りで寒い。風も強く傘の下でも髪が濡れ、靴もグチャグチャになって、凍えながらひたすら12時の売り出しを待ち並んでいた。
 この日当日券は100枚出ることになっているので、必ず手に入るはずだ。11時半ごろになると、後方からバイエルンのおじさんがやってきて、私にもっと左へ詰めて庇の下まで行けという。前の人を抜かすのは失礼かと思い、我慢して後ろに並んでいたのに、でもお蔭で傘を畳むことができた。
 12時をまわると雨が上がった。チケット窓口の列はちっとも進まず、私の番になったのは13時、バイエルンのおじさんは私に体が細くて場所を取らないから、半額にしてくれと言えと笑わせてくれた。実際並んでいるのはみんなご主人。奥さん方は屋根のあるベンチに腰掛けて待っていた。なるほどご夫人方はみんなふくよかな方ばかりだった。
 チケットを手にして、濡れねずみのように震えながら予約してあるホテルへ行った。靴と衣服をドライヤーで乾かすのに1時間かかり、前半開始の2時半少し前に会場入りした。
 ひざ掛けをもらい、準備万端というところで、隣りのアメリカ人が、前列にいる奥さんと席を変わって欲しいと言う。別にかまわないと思って席を移ると、隣りに私の後ろに並んでいたご主人の奥さんがやって来た。お互い顔は認知しているので挨拶し、席を替わったことを話した。そのドイツ人のご主人は一列うしろ元の私の席と同じところの中央に居た。ひょっとすると二人隣り隣り同士でチケットを売らない方針なのかもしれない。皆にせがまれても必ずあるわけではなし、安全策かもしれない。アメリカ人はなんで隣り同士売らないのか変な話だとぶつぶつ言っていた。
 移った席は一列前に来ただけで、舞台がほんの少ししか見えなくなってしまい、ずっと首を伸ばしたり、中腰になったり大変な2時間半だった。体の小さい分だけ視界も狭まる。寒さも募り、我慢の限界まできた。
 休憩時間は3時間ある。町にアイスはあるが、なぜかパン屋さんは無い。必ず座って飲食させる方針なのだろう。たっぷりお金を落としてもらわねばならない。私は寒さのあまり劇場に一番近いレストランに入った。すると予約かと尋ねられ、しまったと思ったが、一人だというと、別の女性が小さな4人がけのテーブルで2人が予約済みという場所に案内してくれた。
 グラーシュと食後にコーヒーというなりふり構わぬ注文にも気持ちよく応じてくれ、「美味しかったですか?」と日本語で言われた。日本びいきの店員さんだったのかもしれない。ありがたいことにやっと体が温まった。バスツアーがたくさん来ており、バスで夕食へ出かけていく人も多い。ミュンヘンからの日帰り強行ツアーもある。
 さて、後半は元の後ろの席に変わってもらった。アメリカ人夫婦は残念そうだったが、最初に座ったとき話した後列のドイツ人女性たちに、こちらの方が良いので、戻りたいというと、そうだろうと迎えてくれた。
 一列の差は大きい。後列では舞台全体がよく見え、PAの場所が合うのか、音楽がとてもよく響いて聞こえる。しかし台詞だけは前列の方がはるかにはっきり聞こえ、後半開演20時には暗くなりテキストも読めなくなって、ひたすら、舞台を見るしかなかった。後半はまさに寒さとの戦いで、受難劇を見ること自体が受難だった。
 とにかく舞台が大きい。合唱は横一列に40人並び、左右にまだ5人ずつぐらい立つ余裕がある。たくさんの民衆や動物も登場し、馬、羊、山羊、ラクダ、鳩など、整然と登場する。さすが、10年準備しただけのことはある。素人とは思えない。何人か合唱の中でソロを歌う人は専門家かもしれない。とても上手だった。
 合唱とオケがずれないのも見事だ。後半はダウンジャケットやコートを着たオケのメンバーがピットに入るとき拍手で迎えた。人数はかなり少ないように見えたがPAを使うので問題ないのだろう。(G)
これがチケット
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ベルリナーアンサンブル-三文オペラ [演劇]

 1928年この劇場で初演された、有名な三文オペラを見ることができた。ベッキーメッサー役のStephan Kurtの演技がが歌舞伎役者のように美しい。この人はロンドン在住でこの演目のときにベルリンに帰ってくるらしい。ベルリナーアンサンブルの中に美形の役者はいないと思っていたが、Kurtは身のこなしが美しくとてもクールだ。舞台俳優を美しいと思ったのは初めてだ。
 1928年に初演されたときは、どんな演出だったのか、ベルリンの演劇の歴史の本を前に買ったはずなので、家に帰って見てみよう。(G)

ベルリナーアンサンブル シェークスピア・ソネット、ラ・ペリコール [演劇]

 この春に来たとき、シェークスピア・ソネットがちょうど帰国前日がプレミエで、チケットは完売、空港で新聞記事だけ集めて持って帰った。今回はそれを見ることができた。しかし、よく理解できない。シェークスピアが分からないとだめだ。舞台の前のピットにバンドと弦楽器のカルテットが入っており、照明も美しい。
 翌日はオッフェンバックのラ・ペリコール。2年前にパリのオペラ・コミックで見たときは、カンカン踊りのアンコールがとても楽しかった。しかしここでは、あのメロディーは一度しか歌われず、カーテンコールの音楽にはならなかった。
 舞台にグランドピアノがはめ込まれており、指揮者ともう一人男性が座って二人でピアノを弾く。1Rang左側にVn右にVla,Vcのカルテットがいて、左の下には持ち買えの木管奏者がいた。目の前で生き生きした演奏を聴きながら、大笑いした。やはり演劇の伴奏は生演奏がいい。
 前日シェークスピア・ソネットの舞台説明のとき、歌手は何語で歌うのかと質問した人に、歌手ではなく俳優だと念押されていた、勿論言葉はドイツ語。
 ラ・ペリコールはストリートミュージシャンの話なので、特に歌を聴かせる。俳優でもとても上手、さすがだ。(G)
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Burgtheater im Kasino-ハムレット3 [演劇]

 金曜夜、まだ行ったことのないSchwarzenbergplatzにあるBurgtheaterのDas Kasino am Schwarzenbergplatzにハムレット3を見に行った。
 家でコーヒーを飲んでから出かけようかと、夜キッチンに行ってびっくり、隣の家事室のドアが開いていて、アイロンがつけっぱなしだった。家主はアイロンを消し忘れたまま、今日からモロッコへ旅立ってしまったのだ・・・
 当日券は最後の一枚だった。7ユーロで、席は自由だという。開場されたので、中に入ってびっくりした。丸テーブルに椅子が4つ、バーのカウンターがあり、飲み物を注文できる。みんな舞台らしき方向を向いて、椅子にかけて待っていた。
 開演時間になると、案内の女性の合図でみんな奥の舞台へ移動させられた。ほとんどの人は初めてらしく、ちょっと戸惑っていた。つまりここは、石造りの柱に彫刻が施してあるような、ものすごく大きな広間で、その中を仕切って、入り口にバーをつくり、奥の舞台には階段式の客席とその奥に周囲を3段で四角く囲む120席くらいの小さな劇場空間があった。
 ひょっとするともっと先にも空間があるのかもしれないが、ハムレット3はこの四角い小さなスペースで3人の対話形式で演じられた。
 役者は観客の隣に座って演技することもある。また観客が指名されて、台本が渡され、劇の台詞に参加する。7~8回そんな場面があったと思う。プロンプターもお客さんの隣に座っていて、一度だけ台詞を教えていた。
 途中三人が一斉に音叉を取りだし、音を聞いてから、合唱を始めたのはおもしろかった。勿論微妙な音程だったが、かなり難しい、グレゴリオ聖歌みたいなものまで、いろいろと歌った。
 音叉を膝でならし、床で響かせてリズムをとった場面は、なるほどと関心した。3人の役者(男性)は皆私服、何も持たず、ハムレット、オフェリオ、王の亡霊など役を次々に交代して長い台詞を一気呵成にしゃべる。面白いものを見てしまった。(G)
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建物内部
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ドアを開けたら・・・
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ワーグナー没後50年を記念して作られたプレート。1875年はじめタンホイザーとローエングリンの上演準備のため家族とともにインペリアルホテルに二ヶ月程滞在したとのこと。
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ブルク劇場-Mass fuer Mass [演劇]

 14日のブルク劇場、この前の「からさわぎ」より、今日の「尺には尺を」の方がよく聞き取れた。登場人物が、いろんな方言を使って演技しており、どうしても分らない警官の役の人が一人いたが、突然標準語で普通に話し始めたりもする。
 普通に話す部分はよく分かるが、言い争ったり、激昂する場面は早口になり、お手上げだ。比べるものがベルリナーアンサンブルしかないが、普通の口語の演劇に比べ、ブルクテアターの演目はかなり癖があるようだ。
 お客さんの入りが少なくてまずいと思ったが、開演直前に急に人が増えて、パルケットが満席になった。開演寸前にチケットが半額になるのだろうか・・・・(G)
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アカデミー劇場-Werter [演劇]

 10日、コンツェルトハウスに隣接した小さな国立劇場、Akademietheaterに行ってみた。半額の公演で一応ゲーテのWerterということだ。ベルリナーアンサンブルでもあったが、公開練習のような場合半額になることがある。
 今日のものは一回限りなのか、一人芝居だった。舞台と同じセットで録画したヴィデオを使い、動きがあって悪く無かった。勿論現代版ヴェルテルの悩みだ。ロッテを愛しアルベルトの存在に苦しみ自殺するまでの日記形式。私の席はバルコンで2.4ユーロ。コーヒー一杯の値段だ。
 チケットもぎりもなく、小1時間の穏やかなお芝居だった。
 今日のOestreichは無料だった。昨日は小さな記事だったが、今日は再びネトレプコの記事が大きく出ていた。
 彼女は水曜の公演を風邪でキャンセルしたのだった。妊娠中で薬も飲めず困難な中、残り二公演のチケットは完売しており、本人も周囲も、もう一度舞台に戻ってくることを願っている。(G)
↓劇場建物。当日券を買うのに、角の入り口に入ってた尋ねたら、そこは大学だった。劇場入り口は右側の通りにある。
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劇場内部、古い
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↓地下鉄Stubentor駅にあるリンク建設時に取り払われた旧市街城壁の模型
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ベルリナーアンサンブル-Mutter Courage und ihre Kinder [演劇]

 23日金曜日、またベルリナーアンサンブルを見に行った。20日に行ったら演目がキャンセルになっていて焦ったが、念願、本物のブレヒト・Mutter Courage・・を見ることができた。寸前に思いついて、もう一枚チケットを買っておいてラッキーした。
 舞台は丸く周囲に電光が入っている。建物の上の赤い電光と同じTシャツもあるが、これがベルリナーアンサンブルのトレードマークだ。これを見ると確かに、Spurenの舞台を造ってしまって、それを取り壊すのは難儀な技だと納得した。
 プログラムにはせりふが載っていて、カット個所も明記されている。舞台左の二階に、ピアニストと指揮者がいて、よく見えなかったが、右手舞台奥には管楽器やドラムなどが居るのではないかと思われる。
 東京・新国立劇場で見た大竹しのぶが演じた劇は良くできていた。殆ど同じで違和感は全く無かった。配役は東京でアルトゥール・ルイ・・のとき来ていた人の顔を覚えていたので、SpurenでもMutter Courageでも馴染みの俳優という感じだった。
 20日Spurenの日はMutter Courageを見に来た人が殆どだったので、Carmen-Maja Antoni(母役)が出たときに拍手をしたり、途中でチャチャを入れたりする変な観客が一人いた。でも臨機応変に舞台が進むところがまたすごい。初めはこれも演出かと思ったくらいだ。
 このチャチャが舞台を壊さなかったのは、演出上で一人の観客役を舞台の下の置いていたためだと思う。おそらく、台詞が入りにくかったりしたのではないかという気がする。(G)


ベルリナーアンサンブル [演劇]

 今日はMutterのはずだったのに、行ってみたら17日がプレミエの新作Spuren der Verirrtenに変わっていて驚いた。
 チケットをキャンセルした人は半数はいたと思う。2Rang席の人は1Rangに移るように言われた。演目が変更された理由は、この新作の舞台セットを造るのが大変で、何度も造り直すことが困難だからということだ。
 昨日の演目も変更されており、22日まで毎日上演される。23日はかならずMutterをやるとのこと、チケットを買っておいてよかった。学校の先生も来ていたが、残念そうに帰った。
↓建物を入ったところのチケット売り場




↓夜は電気がつく


新国立劇場-母・肝っ玉とその子供たち [演劇]

 原作を読んだことはないので、舞台の印象だけだが、ブレヒトの皮肉たっぷりの台詞と母の人物像が強烈で、ドイツにいるような錯覚を起こすほど私にとってはドイツ的だった。音の使い方はこの前見た、ベルリナーアンサンブルのアルトゥール・ウイのドイツ臭さを思い出させる。
 いくつか台詞の内容が頭に残っている。戦争の中にしか秩序はなく何年も戦争がないと、平和ぼけするとか、戦争で儲けるのなら、少しは戦争に協力せよとか、上官が無能だと優秀な兵隊を欲しがる、根性を全て買い占められた。怒りをどれ位持続できるかが肝要、行動を伴わない程度の怒りなら諦めろ・・等なるほどと思った。
 歌になると、歌詞がよく聞き取れず場面が途切れてしまう感じも無きにしもあらずだったが、皆さん大熱演で、楽しませてもらいました。(G)


Berliner DomでJedermann [演劇]

 ドイツ語学校授業初日、クラスは8人だった。スウェーデン人が3人、ノルウェー人、イタリア人、スペイン人、アルゼンチン人、日本人が各一人ずつ。週3日は若い男の先生、2日は女の先生で、実践と文法と平行してやってくれる。
 一ヶ月一人で旅してきたせいか、あまり緊張せずに話せて、ほっとした。去年同じ時期に、ここで六週間勉強した後、日本へ戻ってからは、復習もせず、新しいクラスへも進まず、お茶を濁していたが、その間に何かが体に浸透していったのか、あらかじめ考えておかなくても、前より反射的に、自然に言葉が出るようになったみたいだ。

 夜はBerliner Domで HofmannsthalのJedermann(演劇)を見た。これぞ初体験だ。(eine neue Erfahrung!)これは有名で、冬になると公演があるそうだ。演劇も見てみたいと、家主に言ったら、勧めてくれた。
 午後とりあえず、ドームに行ってみた。10/20~30まで毎日、土日祭日は午後三時からも上演される。開演は夜8時、2時間の劇で、ほとんど満席だった。
 音楽はパイプオルガンと、木管+ホルンのアンサンブル、Vnも一人、劇中でバッハの音楽を多少アレンジして演奏する。
 舞台は正面の祭壇で、席の間を走ったりもする。声はマイクで拾ってスピーカーで流しており、ドームのエコーもかかって、私には、はっきりとは聞き取れない。後ろの一番安い席だったせいもあるのだろうが、ドイツ人なら当然わかるのだろう。
 東京で見たベルリナーアンサンブルのように早口ではなく、普通に話している。人物のキャラクターが明確なので、見ていて面白かった。

 ミサをやり、観光客からは入場料を稼ぎ、夜は演劇や音楽会もやってしまうこのドーム、何と言ったよいか・・・、スゴイもんだ。(G)