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初演150年『トリスタンとイゾルデ』講座Liebestod [その他]

 トリスタンとイゾルデに限らず、ワーグナー作品の第一印象の段階で、場面の音楽や台詞が、直感的に何か矛盾しているような、よく分からないと疑問に感じたことは、これまで何度かあった。でもいつの間にか、そういうものだと受け入れてしまったように思う。特にトリスタンは、深入りせずに来たため、今年になって、いろいろ学んだことがある。
 ワーグナー協会での、池上純一先生(埼玉大学名誉教授) のご講義は、毎回感動的で、興奮してしまう。今日のテーマはLiebestodのsの意味の分析。個人的には、初めてLiebestodという言葉を聞いたとき、なんて悲しく美しく怖い言葉だろうと思った。そして、いつしか現世で成就しない愛=死を意味することだと一応受け入れてきた。初めて台本を読んだ時、一幕は強い愛を感じたが、2幕になると意味不明で、文の構成が解読できず、その単語が主語か目的語なのかわからず、翻訳について行けなかった。これもいつしか諦めるようになった。少なくともこの二点について、今日先生のお話を聴いて、納得できた。
 まず、二幕が分かりにくい理由は、台詞が「思想詩」であるからとのこと。出てくる夜の概念はニーチェと共通する。日本語でも詩は、読む人によっていろいろな解釈があることには馴染んでいるが、外国語の翻訳だと、どうしても意味をはっきりさせたくなるので、言葉を補わねばならず、曖昧のままの翻訳は難しいと、先生は仰る。母国語であれば、文法的に説明できずとも、何となく分かるものだ。またドイツ語特有の動詞と連動したsich3格の使い方があるが、それとは違うワーグナーの使い方に注目し、心の内を探る試みは、興味深い。また、dirは自分とあなたがいっしょであることを強調しているというのも、なるほどと思った。他に、言葉の放り出しや、造語、意外な連想を導く言葉など、幾つもの特徴を紹介して下さった。 私は文学も哲学もバックグラウンドが無いため、今後も理解できないことはあると思う。でも、Liebestodのs「の」がジョイント(関節)の役割という視点で、素晴らしい理解が広がることにとても感動した。sの意味が作品が進行するに従って変化するのだ。このジョインという言葉を先生はシェークスピアからから引用された。この「の」にあたるsはドイツ語の前置詞に置き換えて解釈され、それがとても分かりやすく、一目瞭然。霧が晴れた思いだ。
 Liebestodの変化として、一幕では、1.愛に起因する死、つまり心中だが、はじめはイゾルデがトリスタンへの憎しみから無理心中を考えたが、5場、トリスタンが、モーロルトがそんなに大事だったのかと、イゾルデに言う場面で、相思相愛であることが読み取れ、トリスタンがイゾルデをSieからDuへ親称に変えた瞬間を捉えている。また、最後媚薬を飲む、最高潮の場面の音楽で、Ich trinke sie dir.でdir が凄く強調されるは、言葉としてはワーグナー特有の奇異な印象を持つ。なるほど、普通は最も弱く発音される音だ。二幕に入ると、一場のイゾルデとブランゲーネの会話から、2.愛は生死を支配する存在になり、3.死を賭ける愛へ発展し二人の愛の二重唱で4.愛=死となる。その後トリスタンに5.死んだら愛は死ぬのかという問が生じ、三幕幕切れのメロディが出てくるところで、Liebestodは6.愛しつつ死ぬという意味に達する。三幕に入ると、二人の死出の道行となり、トリスタンは死を前にして、焦がれるがゆえに、死ねなくなるつまり7.愛は死に抗う。幕切れ、いわれゆる愛の死は8.死の浄化による救済とのことだ。素晴らしい。
 それから「前奏曲と愛の死」とされている最初と最後の部分について、ワーグナーは最後をVerklaerung(浄化、変容など)と題をつけたとのこと。R・シュトラウスの「死と変容」と同じ変容だ。実際Liebestodという歌詞は最後のイゾルデの歌には一切出てこず、二幕のデュエットで一度だけ出てくる。
 Liebestodを、愛と死の位相から論じるという素晴らしいご研究は、素人にも分かりやすく、バイロイト演出一幕の疑問も、自分なりに解決できた。(G)
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