歌舞伎座新開場十周年 三月大歌舞伎第二部 [歌舞伎]
前半の忠臣蔵十段目は、滅多にやらないそうだが、2016年国立劇場が完全通し上演の際、観ている。あまり記憶に無いが。https://gruen.blog.ss-blog.jp/2016-12-25
その国立劇場も建て替えで今年で閉場ということで、月日の経つのは早い。
コロナ後お年寄りの歌舞伎ファンが減ったようで、客席はかなり空いていた。大向うは完全指定制で、素人の声出しは今もって禁止だ。でも「天川屋義平は男でござる」場面で大向うが入らず、拍手もまばらで、間が抜けた感じだった。休憩時間に尋ねたら、この日は二人大向う担当が来ていると聞いてますとのことだったが。
花道の隣に座ったのは初めてで、身替座禅では全面置き舞台がセットされ、花道でも踏み音が高らかに響いていた。
長年歌舞伎座に通ったお年寄りにとっては、体がきつくなっても、年間通じて、短時間で楽しめる三部構成演目があれば、嬉しいのではないだろうか。
一、仮名手本忠臣蔵 十段目 天川屋義平内の場
天川屋義平 芝翫
大星由良之助 幸四郎
竹森喜多八 坂東亀蔵
千崎弥五郎 中村福之助
矢間重太郎 歌之助
医者太田了竹 橘太郎
丁稚伊吾 男寅
大鷲文吾 松江
義平女房おその 孝太郎
二、新古演劇十種の内 身替座禅
山蔭右京 松緑 ※尾上菊五郎休演につき、配役変更
太郎冠者 権十郎
侍女千枝 新悟
同 小枝 玉太郎
奥方玉の井 鴈治郎
国立劇場「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」第三部 [歌舞伎]
オペラだけでなく歌舞伎も、今回から双眼鏡を使うようにした。すると、オペラ以上に観ることが重要だと気づいた。特に八段目は母娘の踊りの場面で、あまりの上手さに釘付けになった。個人的経験だが、中学まで習っていた日本舞踊の基本型の手(振り)の集合を目の当たりにし、全く意味を理解できないまま、品がつくれず自己嫌悪に陥って、男役に変わり、次第に興味を失っていった記憶がよみがえった。テレビで観るのとは違い、気づかなかったお女形の美しさに魅了された。
幸四郎といえば、由良之助のイメージだったが、今回の本蔵という渋い役は、親の心を控えめに全身で体現しているようで、この醸し出す雰囲気が、歌舞伎ならではの魅力なのだなぁと思った。
国立劇場の歌舞伎は、新たな楽しみになりそうな予感あり。
(全段通し上演の第三部)
八段目 道行旅路の嫁入
九段目 山科閑居の場
十段目 天川屋義平内の場
十一段目 高家表門討入りの場
同 広間の場
同 奥庭泉水の場
同 柴部屋本懐焼香の場
花水橋引揚げの場
(主な配役)
【八段目】
本蔵妻戸無瀬 中 村 魁 春
娘小浪 中 村 児太郎
【九段目】
加古川本蔵 松 本 幸四郎
妻戸無瀬 中 村 魁 春
娘小浪 中 村 児太郎
一力女房お品 中 村 歌女之丞
由良之助妻お石 市 川 笑 也
大星力弥 中 村 錦之助
大星由良之助 中 村 梅 玉
【十段目】
天川屋義平 中 村 歌 六
女房お園 市 川 高麗蔵
大鷲文吾 中 村 松 江
竹森喜多八 坂 東 亀 寿
千崎弥五郎 中 村 種之助
矢間重太郎 中 村 隼 人
丁稚伊吾 澤 村 宗之助
医者太田了竹 松 本 錦 吾
大星由良之助 中 村 梅 玉
【十一段目】
大星由良之助 中 村 梅 玉
大星力弥 中 村 米 吉
寺岡平右衛門 中 村 錦之助
大鷲文吾 中 村 松 江
竹森喜多八 坂 東 亀 寿
千崎弥五郎 中 村 種之助
矢間重太郎 中 村 隼 人
赤垣源蔵 市 川 男 寅
茶道春斎 中 村 玉太郎
矢間喜兵衛 中 村 寿治郎
織部弥次兵衛 嵐 橘三郎
織部安兵衛 澤 村 宗之助
高師泰 市 川 男女蔵
和久半太夫 片 岡 亀 蔵
原郷右衛門 市 川 團 蔵
小林平八郎 尾 上 松 緑
桃井若狭之助 市 川 左團次
ほか
芸術祭十月大歌舞伎-義経千本桜 [歌舞伎]
九月大歌舞伎-夜の部 [歌舞伎]
オペラでは歌手によって舞台の印象が変わるのは当然だが、型の決まっている歌舞伎でもそうなのだと初めて実感した。配役を変えて複数回見た演目は、まだ忠臣蔵一力茶屋と勧進帳だけだが、幸四郎はなぜだか、由良之助より弁慶の方が数段良かった。また、吉右衛門は、弁慶より富樫の方が熱がこもっていた。本当に役になりきり、役に酔っている心地よい場面が両者にあり、その気迫が宙を伝わってきた。
今回、チケット発売初日でも、土日は3階の安い席は西側しか残っておらず、花道は全く見えない。せっかくの「勧進帳」なのに残念だったが、最後だけ皆で身を乗り出して、真上から覗き込んだ。
昼の部との入れ換え時間が20分ほどしかなく、団体客が多いせいか慣れていない雰囲気、それでも定刻に幕が開き、遅刻者も続出していた。
今日は外人が結構目立った、二階席の金髪中年女性3人は勧進帳が終わるといなくなってしまった。一人は浴衣の生地で作った洋服を着ていた。一階にはドイツ人二人、日本人男性がアテンドしていた。外国人に勧進帳は理解が難しいだろうと思うが、我々の方がふつうのドイツ人よりワーグナーに詳しいのと同じ現象があるのかもしれない。(G)
浮世柄比翼稲妻 鞘當 鈴ヶ森
勧進帳
松竹梅湯島掛額 吉祥院お土砂 櫓のお七
新橋演舞場 弥生花形歌舞伎-獨道中五十三驛 [歌舞伎]
歌舞伎座さよなら公演-二月大歌舞伎(夜の部) [歌舞伎]
歌舞伎も多くのオペラと同じように、場面の芸術だと痛感した。場面ごとの説得力が重要で、型に従った動きや鳴り物、客席から飛ぶ掛け声などで、来るべき名場面への期待を煽られる。
一、蘭平物狂(らんぺいものぐるい)・・・一場、蘭平(三津五郎丈)の奴踊りは本当に見事だった。子供のころ同じ流儀の日本舞踊を習って、奴、町娘、おいらん、能まで、特徴のある型を習ったが、あのころ歌舞伎を見ていたら、長く続けていたかもしれないと、今になって思う。ニ場の長大な立ち回りは次第にテンポアップし、複雑化し、観客も次を待ち受ける。子役の見せ場も多く、楽しみ満載だった。
二、歌舞伎十八番の内 勧進帳・・・背景は能舞台の松と囃子だけで、何度でもあの弁慶を見たいという名場面だ。動きの中に感情を覗かせるところは、能的かもしれない。パリでも上演されており、この主従の絆は世界で理解されるものなのか。新築する歌舞伎座ではどこからも花道が見えるとよいのだが、今回飛び六方は全く見えなかった。
三、三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ) 大川端庚申塚の場・・・三人の吉三という名の泥棒が、兄弟分の固めの杯を交わす。名調子の続きが見たいところだ。
どれも、心を打つ人の潔い美しさがある。こういう芝居を喜んだ、江戸っ子はとても身近に感じる。(G)
↓「初詣」ではありません
平成中村座ー仮名手本忠臣蔵(五・六・七段目)Dプログラム [歌舞伎]
大御所から若手まで、日替わりで一人何役もこなす企画が面白い。この日は中村勘太郎が早野勘平、七之助がおかる、両者とも艶かしいさが溢れていた。大星由良之助は橋之助、若手と思いきや、最早すごい貫禄。一力茶屋は春に歌舞伎座で見たが、親世代の名優より、橋之助の腹の底から響く声が、舞台を盛り上げてくれた。全体を通して、奇をてらったところはなく、とにかく真剣さが伝わってくる。
裏方も素晴らしかった。休憩時間の女性のトイレは常に長蛇の列だが、ご安心下さいと呼びかけながら、テキパキと案内してくれる。寄贈されたお花が順番を待つ廊下に並べられていて、待つ間お花を楽しんでくださいというのも心憎い。靴を入れる、ビニール袋も扱いやすかった。隅々まで目が届くよう係員をたくさん配置し、人の動きもよくシュミレーションされていて、言葉をかけながら、観客と芝居小屋側の一体感を感じさせる、とっても居心地が良い空間だった。(G)
浅草寺裏のふだんは観光バスが停まっている空き地に、仮設の文字通り小屋を建てて公演している。歌舞伎座に比べれば大分小さいので、役者がとても近くに見え、台詞も明瞭に聴こえて、まさに芝居小屋!という臨場感がある。
Bプログラムでは、由良之助を仁左衛門丈、勘平を勘三郎丈が演じているが、Dプロは、オペラでいうと若手中心のBキャストといった感じで、確かにチケットは、一番最後まで売れ残ってはいた。由良之助が橋之助丈、勘平が勘太郎丈、おかるが七之助丈という配役、結構高いし、何公演も買う余裕はなくBは見ていないが、若々しく真剣さが伝わってきて引き込まれた。仁左衛門丈、勘三郎丈もチョイ役で登場。(B)
歌舞伎座⇒上野 [歌舞伎]
10時半の売り出しの時点で既に100名近く並んでおり、外国人の方も多い。開演時点では、座席は埋まって立ち見が20名ほどか。
最初の「女暫」、巴御前が主役の女性版暫なのだが、筋は同じ。三津五郎丈、勘三郎丈もちょっとだけ顔を出す。
「三人連獅子」、こういうのは少し苦手だ。隣りのおじさんがいびきをかいて寝ている。
「らくだ」、落語からの翻案で、実際にらくだ(死体)役をおぶって行って、「カンカンノウ」を踊らす。単純に面白いが、観客の想像力に任せる落語と違って、全部見せてしまうのはどうも・・
こちらでは三津五郎丈、勘三郎丈主役で大活躍。らくだを担いでいくだけの勘三郎丈より、実際に躍らせる三津五郎丈の負担が大きいのでは?最後酔っ払ってお互いの立場が逆転し、らくだといっしょに踊りだす演出がコミカルで、大いに笑った。
さて終演後、近くの矢場とん(ソウルで模倣店が話題となった)で味噌カツを食べて、上野までの散歩に出発。(「黄金餅」の逆コース、これも棺おけ担ぐ話だ)
普通に歩いて1時間強で上野に着く。さすがに汗だくで、サウナでさっぱりしてから夜の部へ向かう。(B)
アップルでi-phoneを見る人たち
JR神田駅
秋葉原の歩道は人でいっぱい
上野広小路交差点、奥は御徒町駅
歌舞伎座-二月大歌舞伎 [歌舞伎]
歌舞伎座3階席で、昼の部を見た。歌舞伎座120年、初代松本白鴎27回忌追善企画で、小野道風青柳硯は昭和21年白鴎が駄六を演じて以来の上演とのこと。
箱型劇場の空間を左右斜めから縦横無尽に飛び交う掛け声が、何とも言えず心地よい。舞台の世界にふっと引き込まれる呪文のようだ。小野道風青柳硯と車引は約30分の作品で、続きをもっと見たい感じが残る。
改めて思うのは、真紅の衣装が本当に美しい。よく言われるが、赤がこんなに人を興奮させる色だと実感したのは初めてだった。また、決まりごとの動きの美しさ。最近のオペラでは動きのリアルさが追求されるが、歌舞伎は全く逆で、簡素化された動きに特定の意味を持たせる、決まりごとを楽しむ芸能なのだ。これも実感できた。そして踊りが見事。子供のときのお稽古で、意味もわからず、役どころも理解できず、唯々恥ずかしくてできなかった仕草が思い出される。日本舞踊は、舞というより、役になりきる演技だったのだ。
仮名手本忠臣蔵は、一力茶屋が思ったより派手ではなかったせいか、幸四郎の声が意外と通らないせいか、かなり長く感じた。平右衛門とおかる兄妹が出会ってからが、とても細かく、これはワルキューレ以上だと思った。ワーグナーも長い台詞が耐えられないという人が多いのと同じだろう。忠臣蔵全編を見たいと思うようになる時まで、歌舞伎好きとは言えないのだろうなあと思った。(G)
一、小野道風青柳硯(おののとうふうあおやぎすずり)
柳ヶ池蛙飛の場 小野道風 梅 玉、 独鈷の駄六 三津五郎
二、菅原伝授手習鑑 車引(くるまびき)
松王丸 橋之助、梅王丸 松 緑、 杉王丸 種太郎、
金棒引藤内 亀 蔵、桜丸 錦之助、藤原時平 歌 六
三、積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)
関守関兵衛実は大伴黒主 吉右衛門、良峯少将宗貞 染五郎、
小野小町姫 傾城墨染 実は小町桜の精 福 助 、
四、仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
祗園一力茶屋の場 大星由良之助 幸四郎、 寺岡平右衛門 染五郎、
大星力弥 高麗蔵、斧九太夫 錦 吾、矢間重太郎 秀 調、
富森助右衛門 家 橘、赤垣源蔵 友右衛門、 遊女おかる 芝 雀、
国立劇場-初春歌舞伎公演「小町村芝居正月」 [歌舞伎]
新年の演目は、小野小町を題材にした顔見世狂言を、約200年ぶりに蘇らせた作品。歌舞伎はよく知らないので、ついオペラと比較していまうが、上演されなくなっている作品を発掘し、将来に残そうという思いは世界共通で、その為にエネルギーを費やしてくれる人たちがいるのは有難いことだ。今回の作品でも途中場面が移るときの三味線の音楽まで新たに作曲され、挿入されている。あらゆる面で伝統にのっとって、修復されているのだろう。雪降る音を太鼓で表すのは決まりごとなのだろうか。プッチーニには無いなあと感心した。
以前上方歌舞伎を見たときの記憶が蘇ってきた。劇中の「いじめ」には心痛む。「責め」の場面、小野小町が農民の出という設定なので、十二単姿で収穫の歌や踊りを披露させられる屈辱的場面がある。こういう公衆の面前での「恥」が、恨みや仕返しに発展する作品もあり、日本人の陰湿な性格は昔からのものなんだと、何だか悲しくなる。一方、「殺陣」には息を呑んだ。若い菊之助(女狐役)が追っ手と戦う場面はとても美しい。新国立のオペラの舞台でもよく宙返りなど取り入れるが、これくらい、力強くやってもらえたらなあと、つい思ってしまう。「暫く」では、「そんなの関係ない!」という流行語まで飛び出し、年末オペラこうもりのフロッシュの場面を連想した。
総じて、歌舞伎は動きが美しく、日本人として理屈なく楽しめる。幼い頃の、踊りのお稽古のことをふと思い出し、年の初めに、また新たな舞台の世界に引き込まれていきそうな予感がする。