ローマ~ドレスデン [イタリア]
ボルゲーゼ美術館、コロッセオ、フォロ・ロマーノ他 [イタリア]
ボルゲーゼ美術館の予約が9時なので、タクシースタンドから乗ったところ、違う場所で降ろされてしまった。どうもイタリア人の運転手さんでなかったようで、殆どしゃべらなかった。慌ててタクシーアプリで次の車を呼び、車内でギャンギャン彼女がイタリア語で文句を言い、取り敢えず間に合った。見学時間は2時間で、お帰りくださいというアナウンスがある。
ボルゲーゼ美術館は、彫刻家ベッリーニの聖地。フィレンツエのミケランジェロと、ローマのベッリーニは両巨頭。ベッリーニの彫刻は繊細で、布、髪など柔らかいものを、大理石で見事に表現している。絵画も彫刻も目がとても美しく表情が深く、今にも動き出しそうで、最高に美しい。友達は、ベッリーニが大好きで、そもそもベルリンのボーデン美術館に一緒に行った時、もっと沢山あるローマに行こうと誘われたのだ。彼女はボルゲーゼは3回目で、表示ではカメラ、ビデオ撮影禁止なのに、何故か、撮影自由だと言われ、彼女は大喜びだった。
午後はコロッセオのガイドツアーを予約してあり、このあたりから、私は古代ローマ文明の偉大さを目の当たりにして、驚きの連続だった。こんな大きな遺跡を見るのは初めてで、フォーラム(フォロ・ロマーノ)を見て、現代文明が貧相に思え、悲しくなってしまった。ローマ時代の人は本当に偉大だと心の底から痛感した。
ベッリーニの彫刻のある教会を回ってホテル近くで夕食。イタリアの習慣でApertivoという、食前酒を飲みながら軽いおつまみを食べる習慣があり、これを、ホテルでも毎日無料で夜7時までやっている。また、レセプション脇には、お茶、お水、一口サイズのお菓子やペストリー、ミューズリーにフローズンヨーグルトを常時提供している。ホテルで一度も朝食を取る時間が無かったが、朝晩色々つまんで楽しませて貰った。
ボルゲーゼ美術館は、彫刻家ベッリーニの聖地。フィレンツエのミケランジェロと、ローマのベッリーニは両巨頭。ベッリーニの彫刻は繊細で、布、髪など柔らかいものを、大理石で見事に表現している。絵画も彫刻も目がとても美しく表情が深く、今にも動き出しそうで、最高に美しい。友達は、ベッリーニが大好きで、そもそもベルリンのボーデン美術館に一緒に行った時、もっと沢山あるローマに行こうと誘われたのだ。彼女はボルゲーゼは3回目で、表示ではカメラ、ビデオ撮影禁止なのに、何故か、撮影自由だと言われ、彼女は大喜びだった。
午後はコロッセオのガイドツアーを予約してあり、このあたりから、私は古代ローマ文明の偉大さを目の当たりにして、驚きの連続だった。こんな大きな遺跡を見るのは初めてで、フォーラム(フォロ・ロマーノ)を見て、現代文明が貧相に思え、悲しくなってしまった。ローマ時代の人は本当に偉大だと心の底から痛感した。
ベッリーニの彫刻のある教会を回ってホテル近くで夕食。イタリアの習慣でApertivoという、食前酒を飲みながら軽いおつまみを食べる習慣があり、これを、ホテルでも毎日無料で夜7時までやっている。また、レセプション脇には、お茶、お水、一口サイズのお菓子やペストリー、ミューズリーにフローズンヨーグルトを常時提供している。ホテルで一度も朝食を取る時間が無かったが、朝晩色々つまんで楽しませて貰った。
ヴァチカン [イタリア]
イタリアの文化財は、拝観の予約をしておかないと行列することになるので、友人にヴァチカンドームとシスティーナ礼拝堂のツアーを予約してもらっており、朝9時のツアーに、駆け足で間に合った。ヴァチカン市国は小さいが、全体が偉大な美術館と聞いていた通り、全てが美しいと思った。システィーナ礼拝堂天井画だけは、写真撮影禁止だが、でもスマホでさりげなくVTRを回している賢い人を見かけた。
ヴァチカンドームは黄金に輝く巨大な空間だ。タンホイザーを連想してしまったが、教皇の玉座の屋根を支える4本の支柱に、蔓が巻き付いているのを間近に見て、ローマ語りの場面と重なってしまった。
見学は午前で終了、ランチメニューは、案の定、前菜のラザニアでお腹いっぱい、メインの肉には、殆ど手がつけられなかった。
午後は、名所めぐり、ナボーナ広場へ行く途中の路地で、ピスタチオのティラミスを半分ずつ食べ、広場のカフェに入り、リッチにアイスとカフェ ルンゴを味わい、パンテオンの史上最古のコンクリートを見学、日が落ちて、ライトアップされたトレビの泉に腰掛けたが、コインを投げている人がいない。不思議に思い、即ネット検索、2015年に泉が大掃除がされて、今は青い水に見える。コインを投げたら罰金でもあるのかと思ったが、そうではなく、よく見ると、沢山コインが落ちており、2人並んで、左肩越しに、後ろ向きに投げてきた。いくつか彼女がピックアップした美しい教会を見学し、遠くから、ライトアップされたコロッセウムを見て、アプリでタクシーを呼び、ホテルに戻った。一日中歩き続け、からだのあちこちが痛かった。
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ヴァチカンドームは黄金に輝く巨大な空間だ。タンホイザーを連想してしまったが、教皇の玉座の屋根を支える4本の支柱に、蔓が巻き付いているのを間近に見て、ローマ語りの場面と重なってしまった。
見学は午前で終了、ランチメニューは、案の定、前菜のラザニアでお腹いっぱい、メインの肉には、殆ど手がつけられなかった。
午後は、名所めぐり、ナボーナ広場へ行く途中の路地で、ピスタチオのティラミスを半分ずつ食べ、広場のカフェに入り、リッチにアイスとカフェ ルンゴを味わい、パンテオンの史上最古のコンクリートを見学、日が落ちて、ライトアップされたトレビの泉に腰掛けたが、コインを投げている人がいない。不思議に思い、即ネット検索、2015年に泉が大掃除がされて、今は青い水に見える。コインを投げたら罰金でもあるのかと思ったが、そうではなく、よく見ると、沢山コインが落ちており、2人並んで、左肩越しに、後ろ向きに投げてきた。いくつか彼女がピックアップした美しい教会を見学し、遠くから、ライトアップされたコロッセウムを見て、アプリでタクシーを呼び、ホテルに戻った。一日中歩き続け、からだのあちこちが痛かった。
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ローマ到着、サンタンジェロ、 [イタリア]
ドレスデンからローマへー [イタリア]
ヴァルキューレの後、11時過ぎにホテルに戻ってから、慌てて支度をして、どうもコーヒーを飲み過ぎたようで眠れず、朝5時過ぎにホテルを出てドレスデンの空港に向かった。8時の飛行機なので余裕を見て早めに出たが、始発の空港行きSバーンが15分遅れとの表示。早く出て良かったと思ったら、2駅ほど行ってその先動かない。全員降ろされ結局代替バスに乗り換えろと言う。ドイツの鉄道は何とも信用できない。空港一つ手前のバス停は、整備工場で、エンジニアぽい人が沢山降りた。乗り換えで親切にしてくれた人も、そんな風貌の紳士だった。
今回ローマに行くことになったのは、ベルリンのアルゼンチン人友人のお勧め、何度行っても素晴らしいとのことで、連れて行って貰うことになった。ローマのホテルで現地集合だ。
ドレスデンから直行便は無くて、シュツットガルト乗り継ぎのローマ行き、ユーロウィングスEurowingsだ。LCCで運賃はそのまま買えば安いのだが、食事付きの高い券を買っておいた方が何かあった時優先搭乗ができるとのアドバイスもあり、126€のチケットを買った。
今回ローマに行くことになったのは、ベルリンのアルゼンチン人友人のお勧め、何度行っても素晴らしいとのことで、連れて行って貰うことになった。ローマのホテルで現地集合だ。
ドレスデンから直行便は無くて、シュツットガルト乗り継ぎのローマ行き、ユーロウィングスEurowingsだ。LCCで運賃はそのまま買えば安いのだが、食事付きの高い券を買っておいた方が何かあった時優先搭乗ができるとのアドバイスもあり、126€のチケットを買った。
EU4ヶ国の旅 雑感 [イタリア]
ドイツは遠くなりにけり・・・
ウィーンに居た間は、几帳面なドイツ人との違いが気になってしようがなかった。更にストラスブールに移ってからは、フランス人のさぼり癖を受け入れ、特に学校では、先生は遅刻してくるし、事務の女性はやる気が無いし、がっかりした面もあった。例えば、学校が企画するvisiteはいつも同じ内容という。最初の週末、Parlement Europeen の希望者は私一人だった。なぜなら、その週末が祝日で、学校も木曜から月曜まで休みだからだ。(そのこと自体も、現地に行って初めて知った。授業時間の延長で休みの分を挽回するシステム) 後になって、事務の女性から、翌週の好きな日に変えてほしいと言われ変更した訳だが、それなら全員に再度案内すべきではないかと思った。ドイツ語圏なら、必ずそうするだろう。
また、申請書類の煩雑さもフランスの特長だ。去年パリでたかが数日部屋を借りるために、10ぺ-ジ以上もの契約書を読み、全ページにサインさせられたことを思い出す。今回は建物内のワイヤレスランを使用する申請願いを出したところ、返事は翌日と言われ、あっけにとられた。案の定、翌日返答はなく、うやむやのままストラスブールを後にした次第だ。
一方、生活をエンジョイすることにはとても熱心なことが、マダムの家庭の様子からも伺える。生活を楽しむため、最低限の労働はするという印象だった。
フランス語に慣れてから、イタリアに行ったのは良かった。実質初めてのイタリアだったので、日本を出発する時はかなり不安だったが、ミラノに着いた時点では、もはやEU内を移動しただけという、ごく自然な旅の経過となっていた。ストラスブールに着いてすぐ、アルザスのワインツアーに申し込んとき、運転手さんと同行の女性が話す仏語会話に、ところどころ独語が混ざっていたのに驚いたものだ。何だ、ドイツ語も通じるのかと思いきや、そうではなく、日常のことばの中にドイツ語が交じっているのだ。イタリアでは、独語は避けられたが、仏語は歓迎され、物乞いまでも仏語を話す。ミラノ中央駅で、切符の自動販売機前でもたもたしていると、チップおねだりの人が親切にやってくれる。私もネットで買った切符を印刷しに行ったとき捕まった。販売機は6ヶ国語ヴァージョンなので、ドイツ語なら、問題なかったが、あっという間にイタリア語でやってくれた。ドイツ語なら分かるからと言ったのだが通じず、フランス語に切り替えたら、自分もフランス語は少しできると言い、最後に友達と何か食べたいからとチップをおねだりされた。
フェニーチェ劇場は近年火事で燃えてしまったことで有名だ。初めて行ってみてなるほどと思ったのは、避難経路が克明に掲示してあることだ。そんなに広くないパルケットだが6区画くらいにきっちり色分されて、避難通路が指定されていた。上階は普通に階段で降りる。私の席は3Rangの端で、すぐ横にパソコン机があり、指揮者の映像を写し、スコアを見ながらタイミングをあわせ字幕を送っている人がいた。実際に映写するのは、舞台正面のブースからだが、すぐ近くでスコアをめくる音が時々聞こえた。
イタリアではホテルは勿論、インターネットカフェでプリペイドチケットを買うにも、パスポートが必要だった。(パバロッティが、俺を知らないのかと怒ったという話もある。)まあ、煩わしいという気はするが、一人旅の立場で言えば、自分の所在が証明されることは、万が一のときに役立つと思う。それほどまでに、犯罪が多いから身分証を要求されるのかもしれないが、逆にコピーを悪用されることはないのだろうか。これもお国柄。
老朽化が気になるフレスコ画や、タペストリーを平然と朽ち果てる寸前まで観光客に見せてくれるイタリアのおおらかさは見事だ。あまりに、歴史が古いため、未来の時間に対しても、あと100年くらい、大丈夫だろうと思ってしまうのだろうかとふと思った。あるいは、保護すべきものの数が多すぎて、手がつけられないのかもしれない。ヴェネチアもいつか海の下に沈んでしまうのだろうか。イタリアの遺跡は未来永劫、保存されるのだろうか。イタリアにも、もう少し深入りしてみたくなった。(G)
ウィーンに居た間は、几帳面なドイツ人との違いが気になってしようがなかった。更にストラスブールに移ってからは、フランス人のさぼり癖を受け入れ、特に学校では、先生は遅刻してくるし、事務の女性はやる気が無いし、がっかりした面もあった。例えば、学校が企画するvisiteはいつも同じ内容という。最初の週末、Parlement Europeen の希望者は私一人だった。なぜなら、その週末が祝日で、学校も木曜から月曜まで休みだからだ。(そのこと自体も、現地に行って初めて知った。授業時間の延長で休みの分を挽回するシステム) 後になって、事務の女性から、翌週の好きな日に変えてほしいと言われ変更した訳だが、それなら全員に再度案内すべきではないかと思った。ドイツ語圏なら、必ずそうするだろう。
また、申請書類の煩雑さもフランスの特長だ。去年パリでたかが数日部屋を借りるために、10ぺ-ジ以上もの契約書を読み、全ページにサインさせられたことを思い出す。今回は建物内のワイヤレスランを使用する申請願いを出したところ、返事は翌日と言われ、あっけにとられた。案の定、翌日返答はなく、うやむやのままストラスブールを後にした次第だ。
一方、生活をエンジョイすることにはとても熱心なことが、マダムの家庭の様子からも伺える。生活を楽しむため、最低限の労働はするという印象だった。
フランス語に慣れてから、イタリアに行ったのは良かった。実質初めてのイタリアだったので、日本を出発する時はかなり不安だったが、ミラノに着いた時点では、もはやEU内を移動しただけという、ごく自然な旅の経過となっていた。ストラスブールに着いてすぐ、アルザスのワインツアーに申し込んとき、運転手さんと同行の女性が話す仏語会話に、ところどころ独語が混ざっていたのに驚いたものだ。何だ、ドイツ語も通じるのかと思いきや、そうではなく、日常のことばの中にドイツ語が交じっているのだ。イタリアでは、独語は避けられたが、仏語は歓迎され、物乞いまでも仏語を話す。ミラノ中央駅で、切符の自動販売機前でもたもたしていると、チップおねだりの人が親切にやってくれる。私もネットで買った切符を印刷しに行ったとき捕まった。販売機は6ヶ国語ヴァージョンなので、ドイツ語なら、問題なかったが、あっという間にイタリア語でやってくれた。ドイツ語なら分かるからと言ったのだが通じず、フランス語に切り替えたら、自分もフランス語は少しできると言い、最後に友達と何か食べたいからとチップをおねだりされた。
フェニーチェ劇場は近年火事で燃えてしまったことで有名だ。初めて行ってみてなるほどと思ったのは、避難経路が克明に掲示してあることだ。そんなに広くないパルケットだが6区画くらいにきっちり色分されて、避難通路が指定されていた。上階は普通に階段で降りる。私の席は3Rangの端で、すぐ横にパソコン机があり、指揮者の映像を写し、スコアを見ながらタイミングをあわせ字幕を送っている人がいた。実際に映写するのは、舞台正面のブースからだが、すぐ近くでスコアをめくる音が時々聞こえた。
イタリアではホテルは勿論、インターネットカフェでプリペイドチケットを買うにも、パスポートが必要だった。(パバロッティが、俺を知らないのかと怒ったという話もある。)まあ、煩わしいという気はするが、一人旅の立場で言えば、自分の所在が証明されることは、万が一のときに役立つと思う。それほどまでに、犯罪が多いから身分証を要求されるのかもしれないが、逆にコピーを悪用されることはないのだろうか。これもお国柄。
老朽化が気になるフレスコ画や、タペストリーを平然と朽ち果てる寸前まで観光客に見せてくれるイタリアのおおらかさは見事だ。あまりに、歴史が古いため、未来の時間に対しても、あと100年くらい、大丈夫だろうと思ってしまうのだろうかとふと思った。あるいは、保護すべきものの数が多すぎて、手がつけられないのかもしれない。ヴェネチアもいつか海の下に沈んでしまうのだろうか。イタリアの遺跡は未来永劫、保存されるのだろうか。イタリアにも、もう少し深入りしてみたくなった。(G)
フィレンツェ サンタ・クローチェ教会 [イタリア]
どうにか帰国 [イタリア]
フィレンツェに一泊し、ミラノに前泊して、帰国。本日朝、成田に着いた。これは、フィレンツェのドゥオモ、大理石の種類なのだろうか淡い色彩が、何とも美しい。
フィレンツェは予定外だったため、美術館の予約ができず、Uffizi美術館には入れなかった。でもミケランジェロは堪能した。”David”は下から見上げると、多少太めの体型に見えるが、全身360度から画像解析された姿を見ると、顔も体も理想的な美しさだった。人の手で、こんなに大きく美しい人間の姿をを彫れるものなのだろうか。心底美しいと感じた。
Bargello国立ミュージアム。石造りの古い屋敷にミケランジェロ、ドナッテッルロなど、主に彫刻やレリーフがが展示されている。静かで気に入った。
ミラノ・マルペンサ空港
フィレンツェは予定外だったため、美術館の予約ができず、Uffizi美術館には入れなかった。でもミケランジェロは堪能した。”David”は下から見上げると、多少太めの体型に見えるが、全身360度から画像解析された姿を見ると、顔も体も理想的な美しさだった。人の手で、こんなに大きく美しい人間の姿をを彫れるものなのだろうか。心底美しいと感じた。
Bargello国立ミュージアム。石造りの古い屋敷にミケランジェロ、ドナッテッルロなど、主に彫刻やレリーフがが展示されている。静かで気に入った。
ミラノ・マルペンサ空港
クレモナにて [イタリア]
音楽は神に捧げるもの。いかに美しい音楽を奏でることができるか、その鍵を握る楽器もまた、とても神聖なものであり、音楽と楽器は一体なのだ。
ストラディヴァリの時代、楽器製作者はIHSというキリスト教会の保護を受けていた。ストラディヴァリの所属していた教会は今は無く、広場になっている。
友人がここクレモナで修行している。暗い楽器工房を想像していたが、中庭のある、昔のパレスを今は複数の居住者が使っている、美しい工房だった。天井の木も1600年頃のものだという。
マエストロが楽器造りの精神を話して下さって、身が引き締まる思いだった。一日の時の流れの中で、窓から差し込む日の光を恵みとして、製作が進んでいく。太陽の動きを追って仕事をするなんて、何て素晴らしいのだろう。ニスの工程は午後の日差しの入る部屋で1~2時間。製作の部屋では、中世の絵画のような一筋の陽の光を眼前に見ることができる。静かな時と太陽の光、自然の力を借りて、神への畏敬の念を込めて、神聖な楽器が作られる。
クレモナは湿度が高く、滞在中常に小雨が降ったり止んだりの天気だった。しかし、不思議なことに、窓から差し込む陽の光はとても力強く、夏の日差しなのだ。天気雨のような、空の明るさも不思議だ。
コムーネ宮ではガラスケースに入ったアマティ、ガルネリ、ストラディヴァリの楽器を見ることが出来る。もちろん厳重な監視の下で入室し、あまり長時間居ると嫌がられる。目の届く時間と人数に制限されている。
ドイツ人のツアーから漏れ聞こえてきた話によると、毎日、どれかの楽器を短時間演奏して聞かせているとのこと。ちょうど、25日までモンティヴェルディ音楽祭をやっており、博物館は入場無料、ストラディヴァリの演奏も毎日あるようだ。ただ予約するだけで聴けるなんて、さすがはクレモナだ。音楽祭の催しの一つとしてSan Marcellinoという普段は公開されていない教会で、Ingegneri のミサ曲とCavalliのレクイエムを10人のアカペラコーラスで聴いた。天に届くように響きとっても心地よく美しかった。
イタリアの教会は、正面がキリストのフレスコ画でその回りが額縁のように金色になっている。木を彫り金粉を施してある。会場となったこの教会の装飾は特に素晴らしく、マエストロの説明によると、ストラディヴァリが彫り物師であったという説を採ると、この教会の正面の装飾は兄弟子の作品ということになるそうだ。
初め、建物の扉が開いており、外からちょっと見えただけで、驚くほど荘厳な印象を受ける。遠くから見ても、近くに寄っても、差がないほど見事なのだ。流れるように、鮮やかに、くっきり彫られている。Vnを連想させる、ネックの渦巻きも見える。ミラノのドゥオモの装飾よりもはるかに豪華だ。
ストラディヴァリの楽器が美しいのは、彫り物師としての経験があったためではないかと言われているとのこと。(G)
机に差し込む日光
工房の天井
ニス
マエストロの机
引き出し
教会の装飾
クレモナ駅ホーム
ストラディヴァリの時代、楽器製作者はIHSというキリスト教会の保護を受けていた。ストラディヴァリの所属していた教会は今は無く、広場になっている。
友人がここクレモナで修行している。暗い楽器工房を想像していたが、中庭のある、昔のパレスを今は複数の居住者が使っている、美しい工房だった。天井の木も1600年頃のものだという。
マエストロが楽器造りの精神を話して下さって、身が引き締まる思いだった。一日の時の流れの中で、窓から差し込む日の光を恵みとして、製作が進んでいく。太陽の動きを追って仕事をするなんて、何て素晴らしいのだろう。ニスの工程は午後の日差しの入る部屋で1~2時間。製作の部屋では、中世の絵画のような一筋の陽の光を眼前に見ることができる。静かな時と太陽の光、自然の力を借りて、神への畏敬の念を込めて、神聖な楽器が作られる。
クレモナは湿度が高く、滞在中常に小雨が降ったり止んだりの天気だった。しかし、不思議なことに、窓から差し込む陽の光はとても力強く、夏の日差しなのだ。天気雨のような、空の明るさも不思議だ。
コムーネ宮ではガラスケースに入ったアマティ、ガルネリ、ストラディヴァリの楽器を見ることが出来る。もちろん厳重な監視の下で入室し、あまり長時間居ると嫌がられる。目の届く時間と人数に制限されている。
ドイツ人のツアーから漏れ聞こえてきた話によると、毎日、どれかの楽器を短時間演奏して聞かせているとのこと。ちょうど、25日までモンティヴェルディ音楽祭をやっており、博物館は入場無料、ストラディヴァリの演奏も毎日あるようだ。ただ予約するだけで聴けるなんて、さすがはクレモナだ。音楽祭の催しの一つとしてSan Marcellinoという普段は公開されていない教会で、Ingegneri のミサ曲とCavalliのレクイエムを10人のアカペラコーラスで聴いた。天に届くように響きとっても心地よく美しかった。
イタリアの教会は、正面がキリストのフレスコ画でその回りが額縁のように金色になっている。木を彫り金粉を施してある。会場となったこの教会の装飾は特に素晴らしく、マエストロの説明によると、ストラディヴァリが彫り物師であったという説を採ると、この教会の正面の装飾は兄弟子の作品ということになるそうだ。
初め、建物の扉が開いており、外からちょっと見えただけで、驚くほど荘厳な印象を受ける。遠くから見ても、近くに寄っても、差がないほど見事なのだ。流れるように、鮮やかに、くっきり彫られている。Vnを連想させる、ネックの渦巻きも見える。ミラノのドゥオモの装飾よりもはるかに豪華だ。
ストラディヴァリの楽器が美しいのは、彫り物師としての経験があったためではないかと言われているとのこと。(G)
机に差し込む日光
工房の天井
ニス
マエストロの机
引き出し
教会の装飾
クレモナ駅ホーム
ベルガモ(Bergamo) [イタリア]
19日、電車でベルガモへ行ってみた。S. M. Maggiore教会は、ベルガモの山の上の旧市街にある。16世紀ごろの古い、タペストリーが素晴らしかった。そのまま掛けて見せている度量がすごいと思う。ドニゼッティのお墓が中にある。生家も見てきた。
黄色いお菓子はこの地方のもの。(G)
黄色いお菓子はこの地方のもの。(G)