SSブログ

バンコクオペラ ヴァルキューレ初演② [タイ]

 東南アジア初演のワルキューレを語るには、まず、バンコクオペラ支配人、Somtow Sucharitkul氏を知らねばならない。
 http://www.somtow.com/home.html 
 氏は作曲家、小説家、画家、私財を投じて設立したバンコクオペラの支配人、指揮者、演出家も務める。7カ国語を話すそうで、開演前に挨拶したが、完璧な英語、もちろんドイツ語も話す。莫大な借金があるかどうかまでは知らないが、まるでワーグナーのような多才な芸術家なのだ。2003年にはヴォルフガングが来タイし、リング上演を認めた。2006年にはラインゴールド初演。
http://web.mac.com/somtow/RWCB/WALK%C3%9CRE.html  
https://www.fundable.org/groupactions/opera
 友達がこのオケでVlaを弾いており、事前に練習の様子を聞いていた。練習期間は僅か2週間、ベトナムからコンマスとオケメンバーの応援を呼び、チェロとホルンのトップはドイツから招いている。ワルキューレを知らないのは当たり前、ただ楽譜通りに音を出せば良いと考えている奏者が多数いるとのことで、なかなか大変だと友人は言う。Somtow氏も助っ人ドイツ人もそれぞれ、思いの丈を伝えるのに相当難儀したそうだ。
 そして初日、お客さんは少ない。一幕の始まりは、なかなか良く、やるじゃないか!と思っていたところ、ヴェルゼ~の後のTpが落ちて、その後はガタガタと崩れてしまった。オケは何とか復帰したが、ジークムントは2幕以降も2度と復活しなかった。
 演出家助手をアムステルダムから招いているので、西洋人歌手もそうなのだろうか。しかし、台湾で活躍するブリュンヒルデ役のJessica Chenが断トツに素晴らしかった。彼女はかなりのキャリアを積んでおり、ブランゲーネ、トゥーランドット姫も歌っている。ヴォータンは、ラインゴールドで慣れており、自然でとても良かった。告別の場面も、オケの乱れに動揺せず、歌いきった。

 時代設定は第二次大戦後の日本占領下、フンディングは日本人か?ノートゥングは、戦国時代の鎧兜の背に刀として斜めにかかって(刺さって)いる。
 ヴォータンがジークリンデのところに時々現れたくだりは映像を使い、タイの修行僧のような裸足の足元と杖が映った。ラインゴールドの内容を語る場面は、前回本番の舞台映像をそのまま流していたようだ。
 フンディングの家にはジークリンデの他に数名の召使の女性がいる。机は座卓で、西洋人のジークムントも正座する。フンディングは戦国時代の戦で、大将が座わる椅子のようなものに腰かける。ジークムントはやたら何度も水を飲む。
 2幕から、ヴァルハラの入り口なのか、四角い囲いが、後方にあり、そこに立つブリューンヒルデがジークムントに後ろから声をかける。しかし、3幕初めの騎行の部分では、起き上がった兵士がその囲いを通りすぎて、舞台の袖に入る。このへんはよくある演出だ。ヴァルキューレたちは技量がまちまちで、全く声が通らない人もいる。
 全体で言えば、1幕中盤くらいまでは集中力もあったが、練習不足の上経験不足が露呈し、3幕終盤は尻つぼみとなってしまって残念だが、個人的にこのバンコクオペラに情が移ってしまった今、オケの奏者に、少しでもワーグナーに興味を感じてもらうことを祈る。若い人が多い分、一度目覚めたらきっと、素晴らしい舞台になるだろうと、期待している。(G)
 Wotan : Phillip Joll, Brünhilde : Jessica Chen, Fricka : Barbara Smith Jones, Siegmund : Chales Hens, Sieglinde : Janny Zomer, Hunding : Jphn Ames

 N響が初めて新国・ジークフリートのピットに入った時は、1ヶ月間の練習期間を取ったがそれでも大変だったそうだから、バンコクオペラの挑戦は本当に大したものだ。奏者は皆若いし、技術もしっかりしている。オペラ公演団体として2ヶ月前は蝶々夫人を上演しているし、後はワーグナーの経験だけである。我々の帰国した日曜日の2回目の公演では、初日うまくいかなかった部分も改善されたということだ。
 次の演目は、Somtow先生自作の「壇の浦」、既に安徳天皇役ボーイソプラノの選考も進んでいるそうだが、ワーグナーも当然ジークフリート、黄昏と続けて、更にチクルス上演も完成させてもらいたい。当面ジークフリート役の確保が課題だろう。その時はまたタイに行きたいものだ。(B)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:音楽

神風バンコク日記 [タイ]

 11月28日水曜の夕方の便でバンコクへ行き、日曜夜の便で帰国、月曜朝成田から直接出勤した。2日半有休を取ったので、思ったとおり仕事が溜まり、大分時間が経ってしまったが、感想を少し・・
 暑いだろうと、無理して夏のスーツを着て行ったが、意外とさっぱりして過ごしやすい天気だった。特に朝晩は多少寒く感じるくらいだ。午後になると30度を超えるので、観光は午前中の方が良いらしい。
 29日はツアーに入りバスで観光。早速の大渋滞に驚く。朝のラッシュ時は、幹線道路が一方通行になったりするそうだ。車も多いが間をすり抜けるバイクも更に多い。これでは現地の人以外怖くて運転できない。車検が無いそうで、かなり古い車も走っており、排気ガスがひどい。

 ワットアルン、ワットポー、王宮と回る。日本には無い色使いと、華やかさで、明るい太陽とマッチしていて本当に素晴らしい。ただ昼近くになった王宮は大変な人出で、各国語が飛び交ってすし詰め状態だ。ガイドは、一生懸命説明してくれるのだが、日本語が半分くらい分からない。
 やはり王様はお金持ちなのだろう、金箔の量が半端でない。日本人の感覚では金メッキかと思ってしまうようなところも、全て、金箔を張り詰めてある。ワットポーの寝ている巨大なお釈迦様も、王宮の仏舎利塔も黄金に輝いている。

 王宮本堂のエメラルドの仏様はさらに、季節にあった金の衣をまとっており、国王がみずから、季節ごとに三体の仏像を交換するそうだ。



 ツアーが解散して昼食後、チャイナタウンへ。ものすごいバイタリティに圧倒される。横浜などおとなしいもので、何でも食ってやろうという迫力だ。

 夜はタイスキの晩飯。直後BTSプロンポン駅近くで、象に遭遇。
 翌日、落ち着いて見られなかった王宮へ行くために、BTSと船を乗り継ぐ。船は全く地元の足として使われていて、通勤客がどんどん降りてくる。
 王宮前には8時に着いてしまったが、開門は8時半である。仕方なく門の周辺で待つが、中国や韓国の団体客がどんどん集まってくる。1組100人規模が何組も、黄色やグレーの揃いのベストや服を着ているので、非常に目立つ。開門と同時にトイレが満員だ。前日は欧米人と日本人が多かったようだが、時間で分けているのだろうか。
 その後徒歩で国立博物館へ。王室の方の見学があったようで、結構な警戒だったが、外は気持ちのよい天気だ。王宮と打って変わって空いている。ドイツ人とフランス人のグループあり。(1組10人程度)
 カオサン通りへ徒歩で向かう。途中大通りを渡るのが命がけである。信号も横断歩道も無いところ、地元の人にくっ付いて行く。カオサン通りは、欧米人の多い竹下通りのような感じだ。インドカレーを食う。
 ここから中心部へ戻るにはタクシーしかない。またも大渋滞だ。時間制限の無い我々観光客は寝てれば良いが、仕事の人は大変だ。夜はヴァルキューレへ、終演後12時を回った時間から、現地駐在先輩と2時まで居酒屋へ、日本と全く変わらず。
 土曜午前は、MRT(地下鉄)でウィークエンドマーケットへ。しかし何故BTSとMRTのチケットが共通になっていないのか?MRTは、券売機でお札が使えるだけましだが・・。ついでに言えば、BTSとMRTの乗り換え駅の名前が違うのも、日本人からすると腑に落ちない。
 マーケットは例によって喧騒の渦、広すぎて何が何やら分からない。早々に退散するが、入れ違いに人がどんどん押し寄せてくる。
 午後は現地友人とタイ飯。うまい!。友人は生後4ヶ月の子連れだが、赤んぼはどこへ行っても大人気である。タイの人はただ笑いかけるとかあやすだけでなく、触ったり抱き上げたりする。レストランの従業員が、抱いて別の客に見せたりもする。(もちろん親の承諾を得て)日本と違い驚きだ。
 午後はゆっくりタイマッサージを受けてから、夜ドイツ料理店で数人で宴会。この店(Bei Otto)は、日本には無いような本格ドイツ料理店だ。この日は時期はずれのOctober Festをやっていて、ビールはHB限定、メニューも数種類だった。テラスではバイエルンバンドも入り、ドイツ人が大盛り上がり。

↓帽子の後姿がご主人Otto氏、3ヶ月の赤んぼがこの店に来たぞ!とおおはしゃぎ

 翌日、遅くまで寝てタクシーでマーケット見物。花市場、衣料市場、泥棒市場と回り、どこも活気に満ちている。昼はチャイナタウンでフカヒレ、生まれて初めて食った。 
 食後Jim Thompson本店へ。殆ど日本人御用達という感じ。私ごときに良さは分からない。夜はソンブーンで中華料理、名物プーパッポンカリーが素晴らしくうまい。中華といっても、トムヤンクンなどメニューにありこれもうまい。小泉首相も訪れた有名店だそうで、満員だ。
 有名なパッポン通りをちょっとぶらついて、いよいよ荷物もまとめて帰国だ。
 最後になって帰りのタクシーが怖かった。こちらの運転は概して乱暴だが、急な加速と車線変更、パッシングしたり駐車灯付けっぱなし走行で回りの車をを威嚇。市内から空港まで30分、241バーツで行ったが、生きた心地がしなかった。映画「TAXi」ばりの無謀運転だ。運転手本人はケロッとして荷物を下ろしてくれたが。
 今回旅行は短期間で、当初はのんびり何もしない予定だったが、結局日本人にありがちで、観光に走った。でもアジアの活力を目の当たりにできて、有意義だった。とにかく食べ物が美味しく、更に太った。(B)


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

バンコクオペラ ヴァルキューレ [タイ]

 昨晩、東南アジア初演という歴史的場面に立ち会うことができた。詳細は後日。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:音楽

タイ・バンコクにて [タイ]

 休暇を取って土曜の夕方便でバンコクに来ている。無理して夏のスーツを取り出してきたが、暑いとはいえ清々しい気候だ。安いのでタクシー中心で観光しているが、市内は聞きしに勝る渋滞である。(B)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

しんじゅく多文化共生プラザ-微笑みの国・タイ《歴史・ことばと礼儀・観光・使えるタイ語》 [タイ]

 タイへの赴任間近の友人と、新宿区主催の「微笑みの国・タイ」講座を聞きに、歌舞伎町まで行って来た。新宿区は地域柄文化の国際交流に熱心で、いろいろ面白い企画をやっている。かなり前になるが、ベルリンミッテ区(新宿区の姉妹都市)の若者との交流会で、東京の感想や日本の戦争責任について率直な意見を聞き、二十歳前でもしっかりとした意見をもっており、驚いたことがある。
 多文化共生プラザという名のついた部屋には、外国人のための日本語学習の教材や、日本の文化紹介など、各国語の資料が揃っていた。さすが、英語が一番充実しており、ドイツ語であったらいいなと思うような本が目に付いた。
 今年は日タイ修好120周年とのこと。タイ政府観光局や大使館のホームページがとても充実しており、熱心さがわかる。この講座は合計4回で今日2コマ後半2回はタイ語の学習が主となる。
http://www.thailandtravel.or.jp/

 終わってから水道橋のシンガポール料理店へ行き、ご当地名物「チキンライス」を食べた。でも、味も見た目も現地とは違い、向こうで暮らしていた彼らにはどの料理もかなり差があったようだった。日本に来ると、どこの国の料理も上品になってしまうようで、やはり、現地へ行かないとなかなか本物は味わえない。(G)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽