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パリを脱出~ミュンヘンへ帰る [フランス]

 どうしても、毎回、脱出という思いが沸いてくる、パリの旅立ち。朝6時に宿を出た。東駅に着くと、同じDBで帰るドイツ人が結構待っていた。Stuttgart までのICEは空いていて。順調に次のICEに乗り換えられて、ほっとした。来るときは気づかなかったが、国境のストラスブール駅で、ホームに停車してから、10分以上ドアが開かず、警察が全車両見回ったらしかった。またパリでテロもあったし、移民難民チェックだろうか、厳しいものを感じる。
 今回、パリで気づいたのは、地下鉄で話されている言葉は、フランス語でないことが多い。私の宿が外人が多い場所のせいもあるが、アラブっぽい言葉に聞こえる。フランス語を話すアフリカ人は、目立たなかった。宿の最寄りの地下鉄駅を出ると、何人もの、アラブ系の人達が、タクシー勧誘の電話番号を渡している。また、出口から無理に入る人、改札機を乗り越える人は、相変わらず多いが、窓口の人は、無視していた。
 一度、地下鉄の中の揺れで、ドスンと倒れた白人男性がいた。話に夢中だったようだが、普通の紳士だった。それを見たせいもあり、私も一度混んだ車内で、捕まる棒を失い倒れそうになり、思わず手を伸ばしたら、座っていた、インド系の女性が、手を握ってくれた。お礼を言うとにっこりされ、本当に助かった。
 DBは30分遅れ、12:30ミュンヘン中央駅に着いた。この空気はドイツだ!と、今回も無事に帰れたことを、ありがたく思った。
整備された、東駅前
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駅舎内
開店前のスタバ
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コーヒー買って発車
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パリ到着 翌日 ジヴェルニー [フランス]

 パリは、2013年ジークフリート以来。その前は、2008、2009年。DBで東駅に着くと、駅は綺麗にこざっぱりとしていて驚いた。以前のような、埃に煙った怪しげな光と空気はもう無い。DBで隣席だった若いドイツ人女性は、初めてのパリでオーペア(家事子育て手伝い)で2カ月滞在するとのこと。不安と期待で一杯だ。念の為、尋ねたら、駅までお迎えがあると聞き、他人事ながら安心した。
 今回の宿は地下鉄4番の北方面だが、3〜6月4番の北駅ホームは工事中で、停車しない。夜バスチーユに行く為、5番地下鉄を利用したが、以前より、明るく車両も新しくなり、地下鉄の不安感は、緩和されたと思う。シャトレ駅の長い乗り換え通路では、以前よく警察官に出会ったが、照明も明るくなり、歩く歩道が出来ていた。この5年で、安全さが増したように思う。
 翌日は、モネの家ジヴェルニー(GIVERNY)に行った。一度行ってみたいと思っていたが、今回季節も良く、安全第一で、初めて現地ツアーに参加した。ギャラリーラファイエット前に朝集合、午前中のツアーだ。美しい花々、モネの絵と同じ柳だった。家の中の絵画はレプリカだが、たくさんの浮世絵は、全て本物、グルメだけあり、キッチンも見事だった。
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パリを出発 [フランス]

 敬遠していたシャルルドゴール第一ターミナルへは、北駅からRERで行くことにした。駅のホームでエスプレッソを買おうとしたら、コーヒー一杯 飲ませてほしいという、物乞いおばさんに捕まってしまった。ばつが悪いので、おつりの20セントだけあげたら、丁寧にお礼を言われ、次の男性にコーヒーをご馳走してもらっていた。電車を待ちながら、何度かそちらを見て、目が合ったが、しばらくすると、立ち去っていった。RERで空港へ行くのは、危険だという人もいるが、黒人労働者が多く乗車している雰囲気の問題もあると思う。元々北駅周辺は黒人が多いし、私は右岸の方がしっくりくるので、あまり気にならない。
 RERターミナル1駅からシャトルに乗り換え、空港へ到着、北駅から、40分くらいだろう。LHの機械でチェックインして、荷物預りの列に並びドロップアウト終了。美しいトイレへ行き、EU内のためか、手荷物検索もさらっと通過し、定刻に搭乗した。
 確かベルリンから戻る時は、フランクフルトで、もう一度手荷物チェックがあったはずだが、今回はなく、あっという間に、成田行き搭乗口まで来た。不思議だ。(G)
シャトルの駅
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空港カウンター
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浅い傾斜のみの洗面台、高くて温風乾燥機まで、手が届かない
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久々の第一ターミナル長距離移動
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静かなフランクフルト
パリからの日本人団体は、正午頃の羽田行きに乗り換えたのかもしれない
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パリでの1日 [フランス]

 昨日十分休んだので、朝から出発、まず、オルセーの隣にある、ワーグナーがマイスタージンガーを書いたというホテルを見に行った。私でも泊まれる価格なので、今度連れ合いと二人の時、泊まってみたい。
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 移動中M1のホームに囲い(ホームドア)ができているのを発見、車両も変わり、車内路線図も大きく綺麗になり、バスのように、2,3駅先まで表示される。日本語の駅名にもびっくりした。でもきっと、何年も前に新しくなっていたのだろう。どの路線も前より明るくより安全になった気がする。
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 この後、9区のジャックマール•アンドレミュージアムという、マルモッタン美術館より大きく豪華な館へ行った。10:45に到着したら、外に行列ができており、レストランに入る列と別になっていた。今 Eugene Boudin の特別展が開かれており、そちらが、日本並みの混雑だった。写真禁止のはずが、皆撮っており、係の人も、何も言わないので、私もパチリ。
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 次は日本でテレビで見て、行ってみたかった、2区と9区の境にある、19世紀のパッサージュ。地下から暖房が上がってきたり、お隣同士、地下通路で繋がっていたり、歩いていて分かることではないが、いろんな想像が膨らむ。サロンドテで、一休み。
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餃子バーとは?
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 時間が余ったので、古巣のブランシュへ足をのばした。ムーランルージュがあるところで、毎週通っていた中華惣菜のお店で、初めてテイクアウトしてみた。ちゃんと温めてくれて、帰りは30番のバスにのりホテルへ戻った。すると、奇遇なことに、昨日ケルンから隣同士だったお姉さんと、狭い階段で出会った。黒人男性の姿が見えたので、アプレヴと言ってみたら、下りてきて、綺麗な女性連れだった。膝の上のコートに見覚えがあり、タリスで隣の人だと確信して声をかけたら、あちらも思い出してくれて、ドイツ人とのこと。ドイツ語で挨拶して、別れた。(G)
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パリに到着 [フランス]

 ただひとえに、陸からパリに入りたい、それだけの理由で、ベルリンから夜行で5時間ケルンまで行き、早朝のThalysで、多少は遅れたが、3時間ちょっとで午前10時半には、パリ北駅に到着した。タリスの2等は、本当に狭苦しい、同じ区間では、DBの方が値段が高い理由が分かる気がする。ベルリン~ケルンは1等だったし、夜行とはいえ空いていたので楽だった。
 北駅はものすごい人で溢れていて、列車でも遅れていたのか、人の間を縫って外へ出た。駅近くの安宿は、もう準備ができているからと、部屋に通してくれて、ラッキーだった。日本で予約後に、ここはエレベーターも、朝食も付いていないが、ホントにいいのかと、メールが来たので、朝10時に着くので、荷物を預かって貰えるかと、返信した。荷物OKということで、気分は楽だったが、実は夜行で意外と疲労感があり、部屋に入れてもらえたのは、とてもありがたかった。部屋番号を探しながら、4階までよろよろ上がってきたら、古いが大きなベットで、怪しいシャワーとトイレ付きの、今回初めての個室という気分だった。
 6年ぶりのパリは、気が重く、こんなにまでして、パリまで来る必要はあったのか後悔の気持ちが強くなったが、とりあえず、ヘーゼルナッツと胡桃入りのBioパンと、久々のBadoitで英気を養った。
(G)
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北駅
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東駅
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パリ出発 [フランス]

 パリを発つ。このほっとした気持ちは何とも言いがたい。パリの一人旅は3度目になり、慣れてきたとはいえ、カルネを使い切って旅立つときは、ああ、無事でよかったとつくづく思う。
 去年は復活祭が3月で、バスチーユでパルジファルを見て、ノートルダム大聖堂の日曜復活祭のミサに出た。去年のパリと今年のパリは私にとって連続しているので、その間、ストラスブールのマダムのところで2週間フランス語の生活をしたことを思い出したのは、出発の朝、駅でコーヒーを買いテークアウトはアンポルテと言ったときだった。それほどパリは偉大であり、生活感が異質なのだ。ドイツのように、他の近隣都市同士の比較もできず、接点すら感じない。
 帰りの出発の朝、北駅近くの前から気になっていた天然素材のBioブランジェリーで、好みのハードなパンを買ってタリスに乗った。
 パリでは昼時にピザやバケットをちぎったり、かじりながら歩く人とよく行き交う。それで、近くに美味しい店があるのだなと分かる。朝は仕事前に立ち寄り、一つ買っていく男性も多い。
 このブランジェリーは人気があり、夕方にはほとんど売り切れてしまうので、昨年は買いそこなった。一昨年は何度も入ったがいつも人が満杯で出て来てしまった。今回朝狙って来て良かった。勿論、期待通り美味しかった。(G)
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パリ到着 [フランス]

 ケルンに1泊してからパリに向かう。パリには地上から入るに限る。シャルルドゴールから入ろうものなら、こてんぱんにやっつけられるぞ、と今でも思っている。
 昨年は延々ドレスデンからドイツ国鉄でやって来たが、今回はケルンから堂々とThalys で入った。フランクフルト~パリ間にDBによるICEが開通したので、Thalys のチケットは対抗上相当安くなっている。ともあれパリが近づいてくると何ともいえず、ワクワクしてくる。
 ホテルに着くと、ご主人が二度目だねと言ってくれて、思いがけず嬉しかった。孤独を覚悟のパリだったが、3年続けてくると、何となく馴染んでくるものだ。
 ピカソ美術館に行ったら、門が閉まっていた。物騒だから一々呼び鈴で開けてくれるのだと勝手に思い、入れますかと尋ねると、何と火曜が休館日だった。明日また来てねと優しく言われたので、まあよかろうと思ったら、さすがパリ、15秒に一組くらいお客がやってきては、残念休みかと帰っていく。私は火曜が休みということを全く考えていなかったため、案内板も読まず恥ずかしい思いをした。
 しかし、いきなり一年ぶりでホテルのご主人とフランス語で話したときは、慌ててドイツ語と混ざってしまった。車中で頭を切り替えたつもりだったのに、失敗だった。
 でも旅行だけなら、たいしてフランス語を話す必要は無い。滞在中、演奏会のチケット引取りと、朝食のバゲットを買うときくらいだろう。(G)
↓ケルン駅でThalys
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↓懐かしいリエージュ駅、すっかりきれいに改装された。リング・チクルスは何年前のことだろうか?
http://gruen.blog.so-net.ne.jp/2005-10-15-2
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↓これも懐かしいブリュッセル駅
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↓パリ北駅到着
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↓東駅
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↓パリの楽器屋さん
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↓バスチーユ・オペラ
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ストラスブール・ホームステイ先に挨拶 [フランス]

 今回旅行で私は、GW期間だけグラーツ~ウィーン~ストラスブールと回ったのだが、ストラスブールのホームステイ先には、荷物運びとして同行して、家主に挨拶した。
 ウィーンでもステイ先の家に泊まったのだが、家主は不在だったし、ストラスブールでは、私の滞在期間中はホテル泊まりだったので、一般の人と話す機会は無かった。
 この家は、大学前の市電駅から歩いて5~6分の、静かな住宅街にあり、棟続きの3階(日本で言う4階)+屋根裏部屋の建物だ。
 中に入って驚いたのはその広さ、各階は多分30坪以上はあるので、全体で500㎡はゆうにあり、ひとりで住むには広過ぎる。
 ウィーンの家はアパートの4階(5階)の半分の広さ(1フロアに2世帯)で、それでも150㎡はあり、日本との違いを感じる。また天井も高く(多分400はある)、3階(4階)の与えられた部屋まで、荷物を運ぶのは、木製の重厚な螺旋階段を上がって行き一苦労である。
 荷物を置いた後、1階の居間でお話しした。コーヒーでなく、果物のジュースが出た。マダムはエクサンプロヴァンス生まれ、結婚以来ストラスブールに住んでいる。ご主人はストラスブール大学の化学の教授だと、紹介してくれた学校からの情報にあったが、もう亡くなられているのか、会うことはなかった。その辺ははっきり聞いていない。お嬢さんが3人(下ふたりは双子)で、もう結婚して家を離れている。子供の頃の写真を見せてくれた。
 日本から持って行ったお土産を渡した。まず会社が作ったコルビュジエの小冊子は、表紙が「ロンシャンの礼拝堂」の写真で、日本語だが中身をめくって大変喜んでくれた。
 日本人はコルビュジエが好きだ。ロンシャンにも真冬の早朝でも、大勢の日本人がキャリーバックを引っ張りやって来て、早く門を開けてくれと言う、とのこと。でも、決して非難めいた言い方ではなく、地元の名所を誇らしげだった。
 その後土産の袋を脇に置いて世間話をしていたのだが、他の土産の説明もしたいと言うと、是非お願いということになった。聞くと、ご主人より日本人からのお土産はその場で開けると失礼だから、包装を解いてはいけないと言われていた、とのこと。出発前夜、新宿の小田急で慌てて買った、勘三郎の紋が入った箸と、生酒を説明して渡した。(B)
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ストラスブールからミラノへ [フランス]

 話題が前後するが、17日にストラスブールからミラノに移動した。いっしょに下宿していたアメリカ人学生ジセルも、偶然同じ時刻のLHでボストンに帰国するので、朝二人を中央駅までマダムが車で送ってくれた。
 彼女はまだ20歳、毎日昼間寝て、夜は外出し、朝帰宅するパターンだったそうだ。マダムからは諸々愚痴を聞いたが、二年間も滞在したので、最後は二人抱き合って涙していた。本当のお母さんが待ってるでしょ・・・とマダムが慰めていた。マダムは本当に心の優しい人だ。
 ストラスブールからフランクフルトの空港までは、LHのバスだが、車中での会話の中で、やはりキッチンの時計、つまりマダム固有の時間が10分遅れなことに、難儀したという話でもりあがった。
 彼女はロンドンでのstage(職業研修)が決まっている。空港へ着いたのがフライトの1時間前で、ちょっと焦ったが、彼女もきっとうまく乗れたことだろう。

 下宿では、マダムが丹精した庭は見事で、庭は「命」だ。愛情を注がれて育った小さな花一つ一つが、マダムに感謝の気持ちを語りかけているように可憐に咲いている。近所の猫たちがやってきて、木陰で昼寝をし、子猫は木の上でくつろぐ。こんな世界に身をおくことができ、とても幸せだった。

 ミラノ空港から中央駅までのバスから見える風景は、まるで東京と同じようだった。灰色の建物に、排気ガスで汚れた街路樹、あれ、こんなところだったかなと思ったが、中央駅の大きさには驚いた。
 ドゥオーモとスカラ座のあたりは昔一度だけ行ったことがあるが、今はヨーロッパの地下鉄にも慣れ、特に危惧したような問題は無かった。中央駅は工事中で少し、怖い感じがする。
 チケット窓口はまあ原始的で長蛇の列だが、券売機は空いており、例によってドイツ語も入っているので、問題なしだ。(G)
ミラノ マルペンサ空港
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欧州議会見学(European Parliament) [フランス]

 学校の行事に参加した。とにかく大きな建物で、中に入ると、ものすごく豪華で贅沢な建物という印象だった。
 ガラス張りで光を取り込んだ建物内部には、瓦を敷き詰めた木を植えてある中庭があり、議場外のロビーにはチューリップと言われている、丸い小さな筒のような7~8人用のミーティング空間がいくつもある。それが何と革張りなのだ。壁まで革張りとは驚いた。
 プレスルームのブース(机)はEU加盟国の数だけある。ペーパーの情報は一週間曜日別に22か国語並のボックスが並んでいる。ここがヨーロッパの権威の象徴だということがよく分かる。(構内撮影禁止のため、写真は無い)
 家に帰って、中庭での夕食のときマダムに感想を聞かれ、私が褒め称えると思ったのか、建物にお金が掛かりすぎていて、豪華すぎると思うと言ったら、意外そうだった。アメリカ人の大学生エルザは、そうかごもっともという反応だった。
 この日の夕食はクレープ。薄い小さなパンケーキをテーブルで6枚ずつ焼いて、チーズ、生ハム、エビなど、いくつか、中身を用意して挟んでたべる。庭にまで電気を引けるのも驚きだ。
 エルザも質問していたが,フランスでは、一度にあれこれ混ぜない。クレープ一枚に一種類の味しか加えないのだ。従って、デザートにジャムやチョコレートを挟んで、同じクレープを食べることになる。
 アルザスはシチューのような、野生の肉(いのししなど)を煮込む田舎料理があるので、カレーもOKだったが、昨年のパリのマダムは、あれこれ、一度に煮込む料理はフランスには無いと言い切った。(G)
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オランジェリー公園コウノトリ飼育センター
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ストラスブール田舎の農家 [フランス]

 ストラスブールから35キロくらい離れたライン川沿いの町Munchhausenに、マダムの娘さんの家族がセカンドハウスを持っており、月曜の祭日にマダムが車で連れて行ってくれた。
 昔の農家にほんの少し手を加えただけで、屋根裏部屋が寝室になっており、一階は居間、キッチン、トイレ、その横は物置、続いて昔の牛舎という、典型的な農家のつくりだ。
 この週末はフランスでは祭日で学校も木曜から月曜まで休みになる。日曜は母の日なので、家族が集まるのかとマダムに尋ねたが、特に予定は無いという。休みの間に一度料理をしたいと言ったら、月曜に別荘で作れという。小さなガス台はあると言われ、何度か相談した結果、私の思いどおり、下ごしらえを家でして、仕上げだけそちらですることに同意してもらえた。
 料理といっても、もう手持ちのカレー粉しか残っておらず、日本の伝統料理ではなく、日常の食べ物だと念を押した上で、日本のカレーと、野菜の胡麻和え、そして、炊き込みご飯の素でリゾットを作った。みんな喜んで食べてくれて、マダムは残りを夕食用に、持ち帰った。
 うっかりしていたが、ラインはドイツだけのものではない。フランス語ではle Rhin、オペラ劇場の名もラインオペラだ。ライン川のデルタ地帯を散策すると、本当にたくさんの鳥がいる。早朝は散歩しながらバードウオッチングに来るそうだ。
 自然の白鳥はライン川に本当に今もいるのだ。ローエングリンの世界そのままだ。マダムの中庭といい、この田舎家といい、羨ましい限りだ。(G)
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フランス側からのライン川
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湿地帯とサイクリングロード
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洪水防止柵
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湿地の隣は森
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ストラスブールでの下宿先 [フランス]

 ザールブリュッケンから帰って来ると、マダムが中庭に昼寝用の椅子を広げてくれて、ここで少し休んでいろと言われた。
 この家は週一回お掃除の人を頼んでいるそうで、これから来るという。窓拭きと学生の部屋の掃除も頼んでおり、私にどうするかと尋ねるので、あと一週間なので、結構ですと言ったら、喜ばれた。
 アメリカ人の二人の女子大学生はまだ20歳なので、部屋も洗面もグチャグチャだ。一週間でこんなに洗面が汚れていたとはビックリした。(二人とも白人ではない。)今週二人とも試験があるそうだ。
 夕食は中庭に用意してくれた。とにかく気温が高く、日中は確実に25度を越しており、日差しがジリジリ照り付け、真夏の気候なのだ。5月になって、ずっと良いお天気が続いている。
 夕食は野菜が多くて嬉しい。たんぱく質系の肉や脂ものは、一品、他3品はサラダや野菜類だ。今日はニンジンとオレンジのサラダがとても美味しかった。デザートはパイナップルの輪切り。日本なら食べないが、頑張って食べた。
 初日の夕食は、レンズ豆の煮たものと、他野菜が二種類、鶏肉を小さく切って焼いたものがたんぱく質だった。ところが、その後、チーズが出てきて、皆はパンにつけて食べていた。デザートはフレンチトーストだった。
 マダムはお母さんのデザートだと誇らしげに言ったが、アメリカ人がフレンチトーストだと言ったら、なんでそんな名前なんだと不本意そうだった。
 朝食は皆様々だ。一人はシリアル、ヨーグルト、そこに胡桃を割って入れて、食べている。私はパンとコーヒーと蜂蜜を希望した。でも、庭でとれた果物の手作りジャムの方がずっと美味しい。いちじく、プラム、杏のジャムをご馳走になった。
 マダムはやはり、健康志向。ちょっと太めでコレステロールが高いので、油や野菜もBIOにこだわっている。パンにもこだわっていて嬉しい。今朝、このパンは古いからと、変なお菓子を食べさせられそうになったが、昨日のでもいいから、パンが欲しいと言った。
 コーヒーはインスタントだ。そういえば、パリでも一ヶ月インスタントコーヒーを飲んだ。(G)
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部屋からみる中庭
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ストラスブールにて [フランス]

 7日朝に帰国した。
 先週金曜ストラスブールに着いてから、連日快晴のため、大変気持ちが良い。土曜は観光バス(と言っても、20人乗り程度のミニバス)で、ワイン村巡り。
 全てフランス語での説明で、何を言っているかは分からなかったが、各村で車から降りて、1~2時間自由という方式なので、支障は無かった。
 蔵元がワインを試飲させながら売っているという形式で、大変な賑わいだ。
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 翌日は一転してドイツへ。と言っても、ライン川を挟んで隣町のKehlなので、市電からバスに乗り換えてストラスブール中心地から20分ほどだ。市電が終点で止まると、皆心得ていてあっとという間に隣りのバスに乗り移る。
 我々はライン川の手前、フランス側最後の停留所で降りて、歩いて国境を越す。国境と言っても現在は何も無く、単なる橋だ。フランス側に検問所の跡があるが、無人である。
 Kehlではちょうど5月の祭りで凄い人出だ。日曜なのに店も開いており、日用品が安いのでフランス人も結構来ている。(特に衣類は安いが、デザインはフランスと違ってはっきり言ってダサイ)
 大きく違うのがビールの値段。ストラスブールでは、一般的な500mlのVomVassが6ユーロもして、はっきり言って日本より高いが、ドイツでは半額だ。
 テントの中でブラバンとジョッキというのはドイツの定番だ。地元のブラバンはへたくそだが、雰囲気はある。ちなみにストラスブールでは、フランス人は主にワインを飲んでいる。当たり前と言えば当たり前の話。
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 日曜は人も車も少なく、市電もガラガラだったが、月曜朝は通勤客も多い。トラムを待つ人々が停留所から溢れている。
 ご自慢の市電はさすがである。外見も良いが、中のデザインもかっこ良く、乗り心地も最高。ちゃんと時刻表もある。(定時で走っている)(B)
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大聖堂より、遠くにEU議会が見える
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晴れてパリ出発 [フランス]

 今回は晴れて、順調にパリを発つことができた。去年一ヶ月苦労した甲斐があり、今回は満足のいく滞在ができた。
 公共機関で行けないほど早朝の飛行機を取ってはダメというのが、去年の教訓。今回は北駅からRERに乗り、AntonyでとOrlyvalというモノレールに乗り換える普通の方法で難なくオルリー空港に着いた。マイナーなDの出発ロビーも綺麗になり、全てが、順調だった。
 昨日は北駅を下見してから、去年行かれなかった、サラザールへ行ってみたが、思っていたような、古い駅の面影はなく、工事中という感じだった。ガルニエにちょっと立ち寄り、ルーヴルへ向かった。人が少ないのでとても歩きやすい。
 ルーヴルの地下が唯一開いているパッサージュではないだろうか、ぶらぶら見て、ウィーンの家主にちょっとしたお土産を買った。
 夜のことを決めかねていた。ちょっと疲れて意欲減退ぎみ。ガルニエ、サルプレールのバルトリ、シャトレとそれぞれ催しはあるが、土曜に窓口で尋ねた感じでは、バルトリは売切れで無理だと思い、行ったことの無いシャトレに賭けることにした。
 意外にもチケットはすぐ取れた。出し物はルーセルのパデゥマラトPadmâvatîという、インドのお話。初めからオペラバレーとして作られた、いかにも、フランスらしいお楽しみスペクタクルだ。本物の馬や象が登場し、良く慣れていて、とても可愛かった。バレーというか、日本風に言えばダンスのようだ。
 新国立のオペラに出てくる情けないバレーと比べ、「踊り」の可能性はもっと無限だと感じた。これしかできませんという日本のバレーのミスマッチな振り付けは、もっと進歩を期待したいところだ。
 今回の雑感。パリの宿Chabrol Operaは勝手知ったる、カルティエにあり、東駅から近く地下鉄7のPoissonniereの出口のほぼ目の前だった。
 二つ星でかなり古く、部屋も狭い。夜、椅子の背もたれが壊れていることに気づき、翌朝に椅子が壊れているので替えてくれと言ったら、「plus tard もう遅い、他の部屋は無い」と言われ、いいえ椅子だけ交換してくれればいいのだと言ったが、若いお姉さんには権限がないようで、他の椅子は無いと言われ、まあ、安宿だし・・と引き下がった。でも夜帰ってみると、椅子が修理されており、ちゃんと対応してくれたのだと嬉しかった。
 思うにパリの中心部、セーヌ川沿いの観光地はやはりパリの中でも特別華やかな場所で、パリの人全てが、この中で生活しているわけではない。日常はもっと地味だし、働いている人も、北駅付近は黒人がとても多い。パリは区によって、特徴があり、南西はだいたい静かな住宅地だが、このあたりは、ちょっと前までは危険区域だったようだ。
 去年はそれでも怖かったが、今回は休暇中で、とにかく人が少なく、不穏な場面に出くわすことは無かった。今回は南に行かなかったが、オペラやコンサートをメインに考えれば、この当りはとても便利で、シャトレ駅の長い地下道を避けるためには、7番のメトロを使い、サルプレールにはバスも2番のメトロもあり、バスチーユにも一本だし、快適だった。
Orlyval
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 ウィーン行きのスカイヨーロッパの飛行機は6席×25列の小さいものだった。空港もそんなに混んでなかったので、手荷物のみでバッチリ、乗り込んだ。(G)
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パリ風景② [フランス]

↓Gare du Nord(パリ北駅)、Thalys(タリス)が見える
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↓泊まったホテル
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↓復活祭のチョコレート。月曜までは復活祭の休暇でほとんどのお店は閉まっていて、街中心部も静か。これは、ホテルの向いの去年から知っているお店。
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↓シャトレ座、当日券でルーセルのPadmâvatîを見たが、レポートは後ほど
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ノートルダム大聖堂復活祭ミサプログラム [フランス]

 朝9時にノートルダム大聖堂へ行ってみたところ、もう始まっており満席。しまったと思ったがプログラムをもらうと、8時半から終日復活祭のミサをやっていることが分かり、入れ替えの時に席を取った。
 私が聞いたのは、グレゴリオ聖歌のミサで、オルガンも入り荘厳な雰囲気だった。中央の通路を、司祭が聖水を振りまきながら歩き、祝福を賜り身が引き締まる思いだ。観光客とミサの出席者が混在しているので、行き慣れたレーゲンスブルクのドームほど神聖な感じはしないが、やはり、神を近くに感じる機会という意味で、一人ポツンと外国にいる身にとって、ほっとする場だと今日は実感した。お互いの罪を許しあう握手は、見知らぬ人と、お互い人であることを認め合う、日本の日常にはない尊い行為だと毎回思う。
 大人の聖歌隊のソロ、美しいデュエット、コーラスなど聴くことができた。ちょっと驚いたのは、レーゲンスブルクの聖歌隊に比べて、とても声が太くて丸い筒を通るような感じがすることだ。途中少年合唱に聞こえるところがあったが、もしあれも子供だとすると、やはり声の太さに驚かされる。(G)
ミサDSC03241.jpg
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パリ風景 [フランス]

 復活際の日曜日、朝8時半くらいのGare de l'Est(パリ東駅)。まだ静か。駅の周りに囲いがあるのが、珍しいと思うが・・・
Gare de l’EstDSC03219.jpg
パリ東駅DSC03218.jpg
↓駅内部
内部DSC03223.jpg
↓最高裁判所
最高裁判所DSC03227.jpg
↓セーヌ
セーヌDSC03228.jpg
↓ポンピドーセンター、全身グレーに塗った、パフォーマーが右の方に写ってる
ポンピドーセンターDSC03230.jpg
↓排気口?
ポンピド排気口?DSC03233.jpg
↓バスチーユ、開演前の舞台
開演前の舞台DSC03235.jpg
↓客席
内部1DSC03238.jpg
天上の照明DSC03239.jpg
↓ノートルダムの復活際ミサは一日中やっている。
ノートルダム大聖堂DSC03220.jpg
 ドレスデンから出て,Kassel-Wilhelmshoeheで乗り換えたときに選んだBild紙、拠点をハンブルグからベルリンに移すとのこと。アレキサンダープラッツ工事の記事を見て、思わず笑ってしまった。niiie mehr fertigとnieをのばすのは、良く使われるが、ぜーんぜん、一向に終わらないという半ばあきれた感じが良く出ている。
Bild記事DSC03243.jpg
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オルリー空港にて [フランス]

 3日予定通り朝4時にタクシーが来て、4時半にオルリー空港に到着。6:40の出発を待っている。
 スーツケースが重量オーバーで、3キロほど手荷物に移した。22Kgで許された。毎度のことだが紙は重い、でも捨てられない・・・(G)


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パリ脱出-最後までトラブル続出・・ [フランス]

 2月2日パリ最終日、ネットで予約した、家の前まで来てくれる、空港行きtransferbusの予約確認書に、24時間前までにリコンファームをせよと書いてあるので、朝電話をした。すると予約が入っていないという。クレジットカードで代金は支払い済みなのに・・と学校で事情を説明すると先生が電話してくれた。予約時にドイツ語を選択したためか、返信の確認書はドイツ語で来ていた。
 なぜかドイツの会社に電話せよと言われ、その場で学校からは見放された。ドイツ語になると話はよく通じた。後で返事が来ることになっていたが、時間も無いので受信した確認書を返送したところ、予約OKのメールがきた。パリの事務所と話したから大丈夫だと言う。けれど、また、リコンファームせよというのだ。
 夕方5時少し前に、再度パリの事務所に電話をしたら、また予約が入っていないという。今度はドイツ語を話す人と代わってもらい、朝からの顛末を説明した。しかし、自分にはどうしようもなく、朝私が話した女性はもう帰ったという。そして、どうしても確認したいならスイスの本社に電話しろと今度は言われた。
 どうやら、ネットで予約した会社と配車する会社が別らしい。その会社間の連絡がとれていないのだ。
 これはだめだと思い、タクシーに切り替えようと決めた。しかし、タクシー会社も5時で終わるのか、公衆電話では相手が留守電だということを知らせる表示が出る。そしてメッセージを聞きたければ、選択できるらしい。学校で聞いた電話番号がもう営業を終えたと言っているようなので、別な番号をさがさねばならない。この先がえらく大変だった。もうインターネットでは間に合わないので、思い切って近くの小さなホテルに飛び込み、タクシーを呼ぶ番号を教えてもらった。しかし、またその番号も留守電になっている。
 しかたなく、もう一度そのホテルを訪ねると、さっきのおじさんが奥から出てきて、番号が通じないと言うと、予約か?と察してくれた。お金をお払いしますので、予約の電話をしてもらえませんかと、図々しくお願いしてみた。他の人も出てきて、しばし注目を浴びてしまった。
 番号が変わっており、かけ直して、翌朝4時に予約してくれた。親切にしてもらって、本当にありがたかった。お金は受け取ってもらえなかったので、丁寧にお礼を言って、両替で買ったお菓子を置いてきた。パリにも親切な人はいるものだ。もし、今度パリに来るなら、このホテルに泊まろうか。(G)


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パリ生活もそろそろ終わり [フランス]

 31日、今日はコンサートが無いので、スイス人ジェミーを夕食を食べに行こうと誘った。彼女はラザニアとお肉がお好きで、残念ながら、魚とフランス料理には興味がない。
 教室で反対隣に座っているリタは食通だが、友達の家に泊まっているので、その人と二人で食べ歩いている。彼女はスイスでどうも鉄板焼きを食べたことがあるらしい。それを日本料理だと思っている。生姜焼きのタレを持ってきたので、家でのお試し用として差しあげた。
 ジェミーはギャラリー・ラファイエットに10回以上通ったと言っている。今日も口紅と指輪を二個買っていた。単価はどれも20ユーロ。昨日は5ユーロですごい綺麗な靴を買ったそうだ。
 結局スイス人はこの時期、買い物のついでに、授業を受けているような感じだ。スイス人は買い物に、私は音楽会にラストスパートだ。私もバックの売り場を見て、血が騒いだが我慢した。バックだけは幾らでも欲しくなる。
 隣のプランタンはタカシマヤの匂いがする。ディスプレイも、品揃えも日本的で、まるで、地方都市のデパートのようだった。日本語の館内アナウンスもあった。帰りにオペラ・ガルニエの前を通りかかったので、一枚パチリ。(G)


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ベルサイユ宮殿 [フランス]

↓パリの朝焼け

 下の写真は土曜の午前、Invalidesで地下鉄からRERに乗り換えた次の駅、行き先はベルサイユ宮殿。途中で、12月に乗った気球の横を通った。
 不思議なデザインの壁、まるでカーテンのように見える。素材はタイル、次の駅は黄緑だった。

 10:30ごろ着いた。人も少なく、寒くもなかったが、霧がひどく、視界が悪かった。トリアノンまで歩こうかと思ったが、目標物が見えず迷子になりそうなので、諦めた。

↓宮殿内チャペル

↓有名な鏡の間


↓宮殿内のオペラ

↓寒くはないのだが、霧で視界がわるく10mほど。広いはずの庭も何も見えない。

 帰りがけまたblanchに寄って、先週のお店で中華料理を食べてきた。ほたてが大きくてとても美味しかった。(G)


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サン・ドニ大聖堂 [フランス]

 25日の木曜日は学校の行事で、バリ郊外、地下鉄13番の北の端にあるサン・ドニ大聖堂へ行った。火曜夜から急に寒くなり、雪も少し降り、凍える寒さの中の見学だった。
 この聖堂は歴史が古く、ロマネスク様式とゴシック様式両方を含んでいる。紀元250年頃殉教者、パリの初代司教の墓の上に建設されれており、伝説によると、処刑された自分の首を持ってモンマルトルからここまで歩き、この地で亡くなったそうだ。
 その後歴代王の墓となり、フランス革命の時は建物が傷つけられ、墓も荒らされたそうで、石の装飾の彫刻があちこち破壊されている。ルイ16世とマリー・アントワネットの墓もある。
 1月21日はルイ16世の命日で革命記念日のようになっているらしく、二人のお墓の上に一般人からの献花があった。何人かの王の心臓が保管されている。棺の上には美しい顔をした、大理石の彫刻が横たわっている。犬の上に立っているような姿が目に付く。それぞれ説明をしてくれたが、とても全部は理解できない。後で、ゆっくり調べてみることにする。(G)


↓左 マリーアントワネット 右 ルイ16世


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寮へ引っ越し [フランス]

 マダムのところで色々あって、学校で頑張って交渉した結果、金曜から特別に寮に入れてもらえることになった。プライベートなことを根掘り葉掘り聞くと言った。それが決め手となった。
 秘書は月曜からと言ったのだが、トップのディレクターの男性(校長)が特別に許してくれた。
↓寮の部屋(6F)からの眺め

 先週の土曜にたまたまたどり着いたムーランルージュ界隈に今週も行った。どうしても先週見た中華料理惣菜店のお寿司が食べたかったからだ。学校からも歩ける距離で、途中でバスタオルと室内スリッパを買った。

 TATIという、衣類、バス・トイレタリー、子供服、などを扱う店で、商品別に店が大規模な店がすごい人だった。場所は地下鉄2号Bartes Rochchouart で30番のバスが走っているところ。勿論バーゲンだからだ。
 パリはかわいい子供服の店がものすごく多い。いつ着るのか、晴れ着ドレスばかり扱う店から、可愛い日常着、そしてディスカウントもの、相当の数だ。
 買い物しているうちに昼になってしまったので、まず、お寿司を食べてから、モンマルトル墓地へ行き、ベルリオーズ、ハイネ、トリュフォー、デュマ・フィスのお参りをしてきた。そしてblanchにもどり、先週見た、3輌の汽車のようなプチ・観光バスに乗ってみた。すると、運転手のおじさんが面白おかしく、ガイドもするのだ。そうか、パリにはおしゃべりおじさんも居たんだと思った。
 一度サクレクール寺院で降ろしてくれ、帰り道はサティの家、ユトリロの絵の階段風景、↓ピカソも通ったという酒場の前など通って、戻ってきた。

 先週と比べ、街中の買い物や、店でのやりとりに、恐怖感は無くなっていた。さすがに、転居のごたごたでエネルギーが尽きた感がある。温泉にでも入って癒されたい気分だ。
↓ベルリオーズの墓

↓カフェ黒猫

↓ムーランルージュ

 日曜日に16区のFassyというおしゃれな町へ行った。近くにマルモッタン美術館があり、モネの絵がたくさんある。マルモッタンという人の私邸の所蔵品を展示し、美術館にしたものだ。二階では浮世絵の展覧会をやっており、北斎、歌麿、写楽外日本で見たことがないほどの数の展示だった。
 このあたりは日曜でもお店を開けており、素敵なお店がバーゲンをやっていた。週一の洗濯になってしまったので、高級ブティックで、靴下や下着をとりあえず買った。ドイツならちょっとしたデパートやスーパーが至る所にあるのに、パリではスーパーをなかなか見つけられずにいる。
 その後、バルザックの家とワイン博物館を見て、夕方家に戻った。(G)
↓モンマッタン美術館近く、静かな高級住宅地

↓16区は高級住宅地、日曜だが、バーゲンで店は開いていた

↓バルザックの家

↓ワイン博物館にて


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パリの土曜日 [フランス]

 翌土曜日、朝食後界隈を探検に行った。家の前の道路を地下鉄駅と反対方向に行くと、凱旋門に通じる大通りがあり、その道をサル・プレイエル方面へ向かうバスが走っている。凱旋門と反対方向に歩き、足の向くままたどり着いたところは、ムーランルージュだった。その横のLepicという通りがとても面白くて、食べ物を売る店が連なっている。驚いたのは、中華料理と寿司が同じ店にあり、テイクアウトも出来る。パン屋さんも、大きなパンを勝手に切って、薄切りを買うことができる。野菜もフルーツも計り売りで、少しずつ買うことが出来た。魚屋さんもあり、大きな鮭を一切れ、買った。肉屋もあり、鶏を丸ごとグリルで焼いている。そういえば、サル・プレイエルの最寄駅Ternesには牡蠣の店があり、レストランも併設されていて、皆おいしそうに食べていた。

↓モンマルトルをまわるミニ電車、土曜正午過ぎ、観光客は居らず、開店休業状態

 私が帰宅してから、マダムは買い物に行った。その間に鮭をバターで焼きとジャガイモとマッシュルーム、ニンジンの鍋に入れて、ポトフにしていたら、軽蔑するように、いろいろ言われた。フランス料理ではマッシュルームはスライスして焼くか、ポタージュにするというのだ。こんな風に鍋には入れないと。マダムの昼食はフルコースだった。まず、トマトを半割にし、塩・胡椒をして、前菜。続いて大きなロースハムを何枚か食べ、その後は毎日ベジャメールを必ず食べるとのこと、毎食冷蔵庫から出して、湯煎し、フランスパンをつけて食べる。締めはブリー(チーズ)。大きなジュースのグラス一杯、赤ワインを飲みながら食べ、デザートは葡萄だった。これが、一般的なコースで何とかという聞いたことのある名前を言っていた。私に、パンは食べないのかと聞く。フランス人は毎食必ずパンを食べると。これはフランス料理ではない、日常我々が食べているものだと言ったら、こういうものが食べたければ、日本食でも何でも売っているから買ってくれば良いと言われた。ドイツ人だったら、いっしょにどうかと言えば、喜んで・・・となるのが普通だが、パリではそうはいかなかった。マダムは自分の食べたいものを食べるということなのだ。
 延々3時間、席を立つことができなかった。アルコールが入って酔っているのか、さらにしつこく、あれこれ、個人的なことを問いただしてくる。昼が済んだのが6時だった。マダムの夕食はフィレステーキとのこと、夜、10時ごろ食べていた。
 しかし、マダムはよく働く。家を磨き上げることに命がけだ。換気扇もピカピカ、私も新築の家に入ったときは、換気扇を磨き上げていたが、10年たち、もはや、興味が無くなった。マダムはすごい、86歳でまだ働きつづけている。10時に部屋をノックされ、勉強しているのか?自分も1時間でこんなにアイロンをかけたと見せに来た。夕食を食べないのかと聞かれ、少し休んで食べれば良いと、優しく言ってくれた。こういうときは普通なのだが、あのしゃべりまくっているときは尋常ではない。自分の言いたいことを繰り返し言い、全く個人的なことをなぜかとしつこく、聞いてくる。他人という配慮が無いのだろう。私は疲れ果てて、再びここから逃げ出したい気分だ。(G)


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パリの語学学校 [フランス]

 パリの学校に着きました。今は授業のあと、16:30です。ここにはDellが5台置いてあり、日本語は使えませんが、何とワイヤレスランが来ていました。ラッキーです。
 小さな学校で、生徒は10人しか今日はいませんでした。スイス人がやはり多く、ドイツ語が通じるのでほっとしています。(G)


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パリで気球に乗る [フランス]

 パリに来て4日たち、大分慣れてきた。ただ静かに生活するだけなら、ドイツとそんなに変わらない。

 今日は天気が良く、家主の薦めで、15区のセーヌ川沿いまで気球に乗りに行った。風呂場の窓から見えるらしいが、午前中は見えなかった。またバスを薦められたが、慌てて飛び乗った88番が反対方向行きだったので、途中下車し、また逆方向のバス停が見つからず、他のバスと地下鉄を乗り継いで、地下鉄10番のJavelから歩いた。この町では随分日本人らしき人と行き違った。町並みが新しく、安心して歩ける。気球・・・半信半疑だったが、ちょうど着いた時、気球が上がっていくのが見えた。
 チケット売り場で13:40と言われ、私が第一号のお客だった。その後、フランス人がアメリカの友達を連れてきた。コンコルド広場の気球にも以前乗ったそうで、素晴らしかったと話してくれた。乗ったのはほんの15分位だったが、気持ちよかった。勿論かなり寒かったけれど、これまで体験したドイツの冬に比べ、たいしたことはない。外で並ぶのも、抵抗ないくらいだ。


 その後、オルセーへ行った。閉館までゆっくりして、カフェにも入った。一人だと言うと窓際の静かな席に案内してくれた。
 帰りにオルセー地下入口近くにあったお菓子やさんで、家主と二人分トルテを買って帰った。家主はちょうど私が来たころから、風邪ぎみで、大分ひどい咳をするようになった。
 朝、こんなにひどい風邪はひかないのに・・・と嘆いていたので、ホカロンを二つあげた。帰ってきたら、そのお礼か、手刺繍のノブカバーみたいなものをプレゼントしてくれた。
 帰りの地下鉄の中で倒れた男性がいて、乗客が駅のホームに運び出し、パリジャンかと聴いているが、反応がない。かなり停車していたが、駅員は来ず、行きずりの乗客が降りて、見守る中発車した。(G)
↓コンコルド広場の観覧車、色彩がパリ風?淡い色合いでおしゃれ


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パリの様子 [フランス]

 パリは観光客で一杯です。中心部の地下鉄では皆、地図を持っています。路線により雰囲気が違い、乗り換えの通路は長いものもありますが、随分明るくきれいになっていると感じました。家に帰る12番は乗っている地元の人の雰囲気がとても良く、昨日はイドメネオの後ガルニエから23:30過ぎに帰宅しましたが、怖いことはありませんでした。家の近くは電灯が明るく、ありがたいです。
 昨日は2時間前に並び2番目だったのですが、たいがいチケットを売りにくる人がいて、私が一番に繰り上がりました。よりどりみどりでしたが、65ユーロの一階のボックス席を買ってみました。オケの音は土曜の10ユーロ(2階ボックス最後列)のジゼルと大差なくデッドで、やはり、上の方の席を狙う方が音は満足できそうです。
 パリはパソコン持参で一人で茶店に入ってインターネットをやる雰囲気ではなく、無料らしいマクドナルドは常に若者で一杯。普通のネットカフェはありますが、どうせ、日本語はダメだし・・
 確かに一人でカフェに入っている人はいません。ドイツなら至る所にスタンドカフェがあり立ち食いできますが、パリはパンは売っても缶ジュースや水しか売らず、コーヒーを飲ませるスペースは作っていません。
 昨日はオランジェリでモネーを見ました。その後、シャトレ、セントポールあたりを散策し、夕方から当時券に並びました。ガルニエの天井と睡蓮を携帯の壁紙用に撮影しました。

 月曜から、1週間のパスを買ったので、地下鉄とバスでどこへでも行かれます。乗り換えも出口も何も迷うことはなく、仏語も少しやっておいて良かったです。
 今のところ、困ったことはありません。ただ、日増しに視力が衰え、すごく疲れるのはやはり年のせいでしょうか。21日にミュンヘンに行くのが待ち遠しいです。(G)


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パリ-2日目 [フランス]

 貫徹して出国したこともあり、とにかく眠くて、昨日は9時ごろベットに入ったが、目がさめたら8時20分、8時に朝食の約束だったのに、寝過ごしてしまった。
 道路を隔てて公園があり静かな住まいだ。ただ、家が古いせいか、近所の風呂やトイレの音が風呂場まで聞こえてしまう。
 14:30からガルニエでジセルがあるので、当日券を求めて並び、10ユーロの席が回ってきた。舞台全部は見えないが、満足した。
 家主はメトロを使わない。このあたりはバスが便利なのだという。しかし、夜は早く終わってしまうので、演奏会の帰りはメトロに乗らざるを得ない。
 また、往復で道が変わるため、停留所も道の向かい側とは限らず、バス停が見つけられなかった。でもメトロもまあ夕方6時なら快適だ。10枚のカルネと、来週1週間のパスを買った。これで、バスもメトロもOKだ。(G)


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パリ・第一夜 [フランス]

 シャルル・ド・ゴール空港からタクシーに乗った。夕方5時半、外環道路からきれいな夕焼けが見え、意外と空が広かった。行き先が14区なのでエッフェル塔から市内へ入った。エッフェル塔の電飾は網目のように細かく、大きくも控えめな存在感だった。
 とっぷり日が落ちて6時半ごろ下宿先のアパートに着き、暗証番号を入り口でインプットしドア開けるのに、勝手が分からずてこずってしまった。ホテルなどは相手が開けてくれるので、何度も申し訳ないなあと思ったが、ここは、入り口だけの操作だった。中にはいるとエレベーターがまた分からない。
 間違って入り口横の家の呼び鈴を押してしまった。でも優しい奥さん風の人が出てきて入り口の明かりをつけて親切に教えてくれた。エレベータは金網で中に木の扉があり、古いものだ。私のスーツケースは大きいので、人が先に乗るとドアが閉まらない。一階の女性にはとてもお世話になった。さて、6階に着きブザーを押す。家主のおばあさんが出てきた。
 物静かな感じた。住まいは2部屋で寝室は客に貸し、リビングのキッチン部分に障子の屏風で仕切りを作り、家主のベットがあると思われる。風呂は自由に使え、トイレはいっしょだ。
 70歳を超えるこのお婆さん、写真家で、パソコンで写真を合成し、クリスマスカードを作っていた。パソコンでCDもかけてくれる。(G)


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