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《ジークフリート》を読む-lachender Tod の意味 [その他]

 池上純一先生のジークフリートテクスト解釈の講座があった。主題は、幕切れのlachender Tod の意味を解きほぐすこと。
 3幕、ヴォータンはエルダを目覚めさせ、自分の望みを語る。神々の黄昏についてはラインの黄金で既にエルダが予言しており、ヴォータンも覚悟しているが、エルダの知恵を受け継いだブリュンヒルデが、ジークフリートとともに、この世(世界)に救いをもたらすことを望んでいる。
 ブリュンヒルデがジークフリートを受け入れるまでの、覚醒しない現実でない想念を語るのは、エルダとヴォータンの話が聞こえていたかもしれないと、先生は解読される。テクストの最後 ; をはさんで、ブリュンヒルデが、輝く愛、笑いかける死であると読むとのこと。最後二人のLeuchtende Liebe, lachender Todは、彼らの叫びであり、死んでも愛を遂げるという意味でなく、愛へ突き進む二人に、死(世界)が口をあけて笑いかけているいうなニュアンスではないかというお話だった。
 エルダの始原の知恵が、ブリュンヒルデに引き継がれ、世界に救いをもたらすというヴィジョンが記されていた。いつもながら、先生のお話は奥深く、興味をそそられた。(G)
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モルゴーアカルテット ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全15曲演奏会 [コンサート]

 ショスタコーヴィッチ没後40年から生誕110年に向かう、年越しコンサートを聴きに行った。2015年大晦日13時開演、終演は新年の0時半、気づかぬうちに年が改まっていた。
 私は、特にショスタコーヴィッチファンというわけではないが、2004年ベルリンコミシェオパーで、初めてショスタコーヴィッチのオペラ、ムチェンスクのマクベス夫人を見て、ハーモニーの美しさに感動し、それまで本当の音を知らなかったことを認識した。全くの偶然だが、YouTubeで小野先生も、このオペラの美しさがきっかけでショスタコーヴィッチのクァルテットを荒井先生にご提案されたと話されていた。普通演奏を聴くだけでは参加とは普通言わないが、10時間以上一緒にいると、受け身ではいられない気分になる。
 みなとみらいの小ホールは初めてだったので、まず、外の眺めの良さに感動した。席は通路のすぐ後ろで、とても柔らかく音が響いて聞こえた。普段東京文化会館小ホールで聴くモルゴーアの音と全く違い、クァルテットが一つ楽器のよう聞こえるシーンが何度もあった。前期5曲は軽やかに演奏され、中期は、リズミカルなメロディ、美しいハーモニー、激しくとも乱れない力強いアンサンブルを堪能した。後期は、神ががってきて、消え入るように曲が終わってから弓を下げるまでの余韻を会場全体で分かち合ったような気がする。
 この全曲演奏会にかける意気込みは、前回クァルテット演奏会で話してくださったが、年末のお仕事を終え、4人缶詰になって集中された、非日常こそが、コンサートの真髄のように感じる。
 私にとっては、間違いなく、生涯ただ一度の貴重な体験になると思う。(G)
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帰りは施設も閉鎖となり、警備員が地下鉄駅へ誘導
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