SSブログ

チューリッヒで散財、ライプツィヒへ戻る [スイス]

 この前チューリッヒへ来たのは、10年以上前、ルツェルン音楽祭の帰りに立ち寄って以来だ。駅の地下が綺麗になっていた。
 今回チューリッヒ行きは、ちょっとした冒険だった。スイスでは、自分用のインターネットが使えないからだ。そして、スイスは物価が高いので、泊まらずに、夜行でライプツィヒまで帰ろうと考えていた。
 レーゲンスブルクで友人にその計画を話すと、夜中に3時間バーゼルの駅で乗り換えを待つのは多分難しいと言われた。コロナ禍で、夜中は待合室も、駅も閉めてしまうところが増え、調べてくれたら、少なくとも駅の待合室は閉まっていると。彼自身、夜行の乗り換えで駅を閉め出され、マクドナルドで一夜を明かしたとのこと。
 チューリッヒで一晩泊まっても、翌日の予定はこなせるので、急いでチューリッヒでホテルを探した。何故か、私のbooking.comより友人の方が情報量が多く、値段は最低でもライプツィヒの倍以上するが、小さくて親切そうな宿を見つけてくれた。私はいつも、どこでも基本オペラから徒歩圏内の宿を探すのだが、とても高くて無理。ここはオペラまで市電で20分だが、乗り換えが無く、レセプションも24時間あいているので、次回機会が有れば、またこの宿でもよいと思う。
 市内交通については行きのSBBの車中で検討するつもりだったが、一等車なのに車内でネットが繋がらず、チューリッヒ駅に着いてから、駅案内はスマホで見られるのだが、情報過多で、仕方なくしばらく歩き回り、自分の知っている、地上中央駅にたどり着いた。地下の市内交通の案内所は、何だか意地悪だったが、地上の案内所は観光客向けなので、親切だった。スイスフランに両替したくなかったので、前もってアプリで市内交通のチケットを買った方が良いか、でも外でネットは通じないので、チケットは提示できるのかと余計な心配したが、24時間チケットが、日にちごとではなく、いつから24時間かは、自分で指定できた。そういえば昔そんなだったかなあと思う。久々に海外でネットがない恐怖を感じた。気づけば今回、紙の地図は、ドレスデンの宿でもらっただけ。家からも一切持って来ていない。今どうなのかという情報はもう紙上では分からない世の中なのか。
 翌朝宿出発は、5:00。早朝で市電がまだ少ないので、10分ほど歩いた先の駅から、Extra Fahrtと表示された別の市電でチューリッヒ駅に着いた。そして最後の難関は、ユーレールパスだ。今回のドイツ滞在は、何が起こるか分からないので、お守り代わりにに、全ヨーロッパで10日間使えるユーレールパスのアプリを購入した。昔からある自由度の高い紙のパスと違い、使い方が少し面倒くさく、どの列車に乗るのか、予めいちいち登録せねばならない。その分?紙よりお安い。
 ドイツでは問題無かったのだが、チューリッヒからの帰路が、DB検索で出てくる良い接続がユーレールパスには無く、余分な乗り換え接続がある乗り継ぎに指定されてしまう。レーゲンスブルクでも相談したが、解決せず、アプリの相談窓口にメールすると、こういうことは、よくあるらしい。非現実解決策を送ってきたので、もうあきらめて、SSBの奇妙な接続を登録して、実際はDBの乗り換えを採用することにした。つまりDBでは目的地までマンハイムで一度乗り換えればよいのだが、SBBでは二本の列車の間に、バーゼルからマンハイムで別の列車に乗りかえるよう提示される。到着列車はどちらも同じなのに、不思議だ。
 それで思い切って、バーゼルで降りずそのままマンハイムまで行くことに決めた。車両はDBだったが、バーゼルで車掌さんがSBBからDBに変わる。そして、突然いつものDBアナウンスになり、車内FFP2マスクをするよう促された。チューリッヒでは、市電も劇場も、マスクは自由裁量だった。
 そしてバーゼルを過ぎチケットコントロールにDBの車掌さんが来た。私は、仕方なくバーゼルからマンハイムまでの別の列車のチケットQRコードを提示したが、普通にGute Reise!と言われたただけで、一件落着。チューリッヒでの全ての課題を終え、定刻で13:00過ぎ、ライプツィヒに帰り着いた。

チューリッヒの宿。部屋は小さく電気は暗いが、その他の設備は良好。
7976408A-775D-4E6E-841F-9E294D4D3A91.jpeg
SSB車内
SSB社内.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。