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パーヴォ・ヤルヴィ~指揮公開マスタークラス [その他]

 東京音大でパーヴォ・ヤルヴィーの指揮公開マスタークラスがあり、各音大から5人の学生が、ジュピターから一つ楽章を選んで指導を受けた。指揮のレッスンを見るのは初めてだ。個人的には、ヤルヴィーの躍動感があって簡潔な音楽作りは好きで、あくまで、自分は指揮してもらう側、客席で指揮者の姿を観賞する側の人間として聴講させてもらった。
 ヤルヴィーのスタイルは、身体に縦の軸をつくり、背筋を伸ばし、膝を曲げたり、爪先立ちしたりしない。5人全員が拍を打ちすぎると注意された。マエストロは、ダウンビートのみで、打点を示し、後は音楽的に必要なパートへの指示を送るだけ。オケに必要な情報を簡潔に伝えることが大事で、指揮者があまり動き過ぎると、奏者は注意を向けてくれないと。また、呼吸で誘い、アウフタクトをインテンポで振ることは、全員が難儀していた。降り始めは、タクトを低い位置から上へ上げたほうが、オケも呼吸についていきやすいと。また、よく見かける指揮者のスタイルだと私は感じるが、頭が少し前へ出て、左手の掌が見え、タクトと平行に制止するような格好で、オケに注視するよう促すのではなく、アイコンタクトで注目してもらうのが好ましいと。オケ奏者の立場で思いだすのは、大昔、アウフタクトで呼吸してくれない音大生指揮者が来て、出られなかった経験がある。指揮者が自分の顔の前で振り続ける姿には今もよく出合う。
 左右の手の使い方も難しい。右手で拍、左手で長いフレーズやレガートを表現する。音符に価値を持たせ、音のキャラクターを振り方で表現するのが指揮者の仕事だと。
 指揮者が、パートに合図を出すのは普通のことだが、ヤルヴィーは、そのタイミングが絶妙だと思った。これは、経験的に思うことだが、奏者が次を意識する直前のタイミングで指示が出ないと、手遅れとなり、形だけの指揮パフォーマンスとなる。
 モーツァルトは、全てがオペラだというのも、なるほどと思った。音のキャラクターは歌であり、繰り返される旋律には変化をつける。2楽章はアリアであり、長いフレーズを歌うので、拍を刻む必要はない。 指揮者の男女差別はなく、母国エストニアのセミナーでは、受講生は男女同数にしていて、今回の受講生にも女性を入れるようにとことだった。女性は無理に男性的な指揮する必要はないと。振り始める指揮棒の高さも、身体にあわせて、呼吸のしやすい高さを選ぶ。
 指揮者は、どうあってはいけないかというヤルヴィー流の注意は、自分がオケで弾きにくいと感じる時の指揮者がまさにやっていることだった。
 小澤征爾という、素晴らしいお手本がいるので、日本人はヨーロッパ人より、上半身の動きが柔らかいと、小澤征爾への敬意も忘れなかった。
 広上先生が司会者で、通訳を交えセミナーは進み、最後、「若い指揮者代表」として 、高関先生と下野先生が壇上に呼ばれ感想を求められた。これがとても正直で、高関先生は、左手の動きに悪い癖がつくと、後で苦労すると、下野先生は、自分はまだ若いと言いながら、若い頃は指揮する行為が、楽しくてしようなかったと、まさにこの日の学生さんの気持ちを代弁してくれたと思う。
 総じて指揮者になろうという人は、音楽への情熱が身体から溢れているわけだが、ヤルヴィーのように指揮するには、自分の考えを客観的な情報置き換え、基本、手で奏者に伝えなければならないという、難しい仕事の一面を知った。
 たとえアマオケでも、良い指揮者の指導を受けると、魔法にかかったように音が変わることがあり、そんな時、私たちは天にも昇る心地がする。(G)
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