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ザンクト・ヴォルフガング~シュタインバッハ~バート・イシュル [オーストリア]

 翌日も早朝から出発、アウトバーンで軽油と朝食を補給してから、ザンクトギルケンのモーツァルトのお母さんの生家を外から見学し、St.Wolfgang、Schafbergの蒸気機関車の登山鉄道に乗った。
 山頂は雲の中だったが、強い風に耐えて立っていると、時々雲が途切れ山や湖の素晴らしい風景が現れる。1時間くらいして、下山するときにはすっかり晴れて、湖を背景に蒸気機関車が煙を吐く絵葉書のような視界が開けた。
 次に訪れたのは、Steinbach am Attersee マーラーが交響曲3番を書いたという湖畔の小屋。インターネット情報をもとに、ホテルで小屋の鍵を借り、キャンプ場を抜けて岸辺に行くと、ほんの小さな小屋があり、ピアノが置いてある。息が詰まりそうな狭さだが、何時間もここで仕事をしたマーラーの姿を想像すると、感慨深い。マーラーがどんな作曲家にどこで面会したかという記録は面白かった。
 夜はBad Ischlに泊まり、Lehar Festivalの "Der fidele Bauer“(愉快な農夫)というオペレッタを見た。開演前のインテンダントの挨拶によると、この日は市長かだれか来賓があったようだった。オケのメンバーもこの日は特別にチロルの民族衣装を着ていると案内された。もちろんふつうの黒服の人もいたが、チェロのトップの女性は民族衣装で朗々とソロを弾いていた。オケピットでメンバーが互いの衣装を写真を取り合っている姿も微笑ましい。お客さんも半数以上男女ともこの衣装だった。ミュンヘンのオクトーバーフェストで見た装いよりも、もっととても上品で、誇らしげに見える正装姿だった。
 あらすじは読んでおいたものの、台詞は部分的単語以外、ほとんど分からなかった。笑いのツボは、よく方言の中にあるが、全く付いていけず、2幕の終わりごろようやく初めて、ドイツ語の標準語が出てきて安心した。今風ではベルリンも訛りがあるが、ベルリンから出てきた婚約者のお母さんだけが標準語だったのは、オーストリアではなくドイツ人という意味合いだったのだろうか。
 この日はユースホステル泊まり、ここは珍しく街のまん中にあり、清潔で大変便利。夜若者がビールで酒盛りをしていたが、日本語で挨拶をされびっくりした。(G)
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