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モルゴーア・クァルテット 第51回定期演奏会 『退廃音楽』 [コンサート]

 聴き終えて感じる「清清しさ」は何なのだろう。ユダヤ人の退廃音楽として弾圧され、後に再評価された作品としては、シュレーカーのオペラを2作見たことがあるが、音楽は綺麗だが印象は薄かった。今日また3人の作曲家に出会った。
 Entartete Musikは、「退廃音楽」(仏語Musique dégénérée→英degenerate music)と訳されるが、日本語で一般に道徳的な意味で用いる「退廃的」と違い、ナチス政権が、ユダヤ人の芸術を、退化、堕落、とみなし排除した言葉。19C末キリスト教道徳的見地からの退廃的dekadent(英decadent)とは異なる。
 なぜか新鮮な風が体を吹き抜けたような、音楽の軽妙さは、以前、聴いた痕跡が残らないと感じたシュレーカー同様、今が大事で、今聴いて、今幸せなことが全てだからなのかもしれないと、思いが変化した。コロナ禍のお蔭かもしれない。
 事前にYouTubeで検索できたのは、ウールマンの作品だけだけで、強制収容所の中で作曲され演奏さ(せら)れ、氏は46歳アウシュビッツで最期を迎えた。ディストラーの曲は安らかで、とても美しく感じる。38歳で自殺した。二人ともナチス政権以前は堂々たる芸術活動をしていたのに、何という悲劇。クシェネクは、マーラーの娘との出会いから、マーラ10番の補筆を依頼されたり、後にアメリカに亡命し市民権を得て、91歳まで生き延びた。
 戦後、失われていた芸術を発掘し、演奏し、廃退音楽シリーズの音源をつくったところは、素晴らしいお国柄だと思う。自戒の意味で、ヒットラーが好んだR.Wagnerの長大な音楽の渦に飲み込まれ、現実を見失うことの方が、現代的意味では、よっぽど退廃的だろう。
 3曲の個人的印象としては、ウールマンはシェーンベルクの感じか、後半2曲はリズミックなフレーズが繰り返されるところが、誰かに似ていると思ったら、荒井先生のお話を聞いて腑に落ちた。そうだ、あまり聴かないヒンデミットだった。意外と不況和音が軽く、美しいハーモニーの中に時折現われるアクセント程度で、フーガにもメリハリがあり、聴きやすく、心が苦しくなるような音が無い。
 改めて言うまでもなく、モルゴーアのアンサンブル素晴らしい。演奏後荒井先生のお話があり、聞き取れた断片を後で調べたところ、アンコール曲は、多分1922年ヒンデミット舞曲集op19と、シュロコフ(1894年ライプチヒ生まれ、強制収容所で48歳結核で死亡)の最晩年の娯楽的音楽「SUSI」で、聴けば女性のスージーだとすぐ分かる、アメリカの甘いムード音楽のようだった。

曲目
ヴィクトル・ウールマン/弦楽四重奏曲 第3番(1943)
フーゴ・ディストラー/弦楽四重奏曲 イ短調 Op.20-2(1939)
エルンスト・クシェネク/弦楽四重奏曲 第3番 Op.20(1923)
出演
第1ヴァイオリン:荒井英治
第2ヴァイオリン:戸澤哲夫
ヴィオラ:小野富士
チェロ:藤森亮一
会場  東京文化会館 小ホール(東京・上野)
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