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ポツダマープラッツの今と昔 [ドイツ]

 ポツダマープラッツを最初に見たのは90年代半ばで、広大な工事現場を見渡せる、赤い仮設ボックスが建っていた。フィルハーモニーの前の信号機は壊れており、道路を渡るのが怖かった覚えがある。生き残っているのは音楽だけなんだと、ショックだった。
 それ以後、再びベルリンの中心として発展し変貌を続けてきた、ポツダマープラッツも、今またもてあまし気味になっている。
 シュターツオパーのツアーの一環で、この日のガイドさんは、ご両親の代からベルリンに住み、ベルリンに格別の思いのある、かなりお年を召したお婆様だった。
 集合場所は、ティアガルテン側の、フィルハーモニー・カンマーザール入口と指定されていたが、定時に来たのは自分を含め3人、殆どの参加者は大ホール側の入り口と間違えていた。
 早速昔の写真のコピーが回覧された。最初に、Siemens こそがベルリンのBegriffだったのに、本社がミュンヘンに移転してしまい、ベルリンは寂れていったと熱く語るの聞き、これは筋金入りのベルリナーだと鬼気迫るものがあった。強いビル風と零下の気温の中、2時間の外歩きは旅行者にはきつい。
 20世紀初めに、地下鉄が敷かれ、Vaterland という大きな、今で言うならカフェや、レストラン、劇場の入ったショッピングセンターができ、とても賑わっていた。今も、時計のついた、古い信号機が広場にあるが、これはジーメンス社製で、世界初の信号機。
http://www.potsdamer-platz.org/haus_vaterland.htm
 U2入口のBalzac Cofeeがあるところの建物の丸いガラスに、Vaterlandの微かな記憶を残しているとのこと。ちょうど、DB本社の上辺りから見下ろす角度のノスタルジックな写真はよく目にする。 (2番目の写真)
http://www.lsg.musin.de/geschichte/Material/referate/lkg/berlin/potsdamer_platz_bis_1945.htm
 その後、壁ができ、今も壁の緩衝地帯は、誰のものでもなく、日本の土手のような佇まいだ。ソニーセンターの後ろ側も、最先端の素晴らしいデザインの建築やオブジェができ、当時は目を見張ったが、今案内されても、自分の中では、既に過去の歴史に組み込まれている。(G)
赤い帽子のガイドのご婦人
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