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新しい出発-下宿を出た経緯 [フランス語]

 先週木曜の話に戻るが、この日の午後は授業は無く、先生が引率して、パリのあちこち案内してくれた。今週はBellvielle周辺11区19区20区の境にあるパリの芸術家の町へ行った。
 町全体は汚いが、芸術家のアトリエがあちこちにあり、窓から中を覗くことができる。また、夜ジャズや色々なコンサートを開く有名なバーやレストランが数多くある。ただ、昼間は汚いちょっと物騒な町だ。他にエディット・ピアフの家、トリフォーのロケに使われた、こ綺麗な路地、デザイナーブランドのおしゃれな家がところどころにある。とても一人では行かれない場所だ。
↓アトリエ1

↓アトリエ2


↓ピアフの生家

↓カフェのポスター

 アルバニア生まれのスイス人で、ルツェルンから来ているOLと親しくなった。雰囲気が姉御っぽく頼りになる。クラスでもよくできる。マダムの愚痴を言ったら、即、そこを出て、学校の寮に来たら良いと言ってくれた。迷っていた私も彼女に勇気付けられ、決心し、学校に住まいを替えてほしいと頼んだ。マダムが86歳であるからといって、人の私生活に口を挟むのはおかしい。他にも日本とヨーロッパの洗濯機の温度の違いを話したら、東京は日本の首都だろう、全部水で洗濯するのかとまるで、原始人扱いだ。「習慣の違いです、それ以上はなんとも言えません。」と何度も話を終えようとしたが、聞いてもらえず、意味の無い問答が30分続いた。他にもいろいろな事件があったが、最終的に金曜日に、家を出た。
 学校の怖い秘書のおば様に、月曜からにしてくれと言われたが、この週末に何が起こるかわからないので、不安なのだと訴えたところ、校長が部屋が空いているなら入れてあげたらいいと言ってくれた。学校中の話題になってしまった。
 二泊は仮の部屋で、月曜から2週間自分の部屋をもらう。マダムに支払った代金は返却されず、新たに宿泊代を支払う。これも授業料だ。
 午後、荷物を取りに2往復した。マダムにはあなたの質問に答えられないので、出て行くと言った。すると、そんなの普通だとか、学校では私を凄い進歩だと言っているのに、残念だと言い始めた。確かに、自分の意志や理由をはっきり言えるようになるまで我慢しているうちに、2週間たってしまったということだ。昨日の抗議のとき、いっしょに居てくれたルツェルンの友達が、私が8月からフランス語を始めたと言ったら驚いて、言ってることはよく分かったから大丈夫だと気遣ってくれた。
 夜は彼女の希望で二人でラザニアを食べに行った。会話はドイツ語主体で、仏語での言い方を教わりながら、楽しいほっとするひと時だった。私が家に帰りたくないというので、付き合ってくれたのだ。彼女とも国籍に関係なく、普通に自然に気持ちが通じあう。
 スイス人同士の会話はドイツ語だが、早口でなまりがきつく、よく聞き取れない。私が標準語で話すと、合わせてくれる人もいる。秘書のおば様の仏語も上級の生徒がドイツ語に直してくれるのでありがたい。他にノルウェーの女の子とも親しくなった。お母さんが日本で生まれた人で、今また日本語を習い始めたそうだ。彼女は殆どできないが、私のCASIO電子辞書に関心を示してきた。みんなそれぞれだが、ちょっと話してみるとすぐ、人柄がわかる。日本人のように、自分を隠さないので分かりやすいのかもしれない。(G)


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