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ライプツィヒ歌劇場芸術監督 ウルフ・シルマー氏の講演 [講演会]

 シルマー氏が、指揮者ではなく、ライプツィヒ歌劇場の芸術監督として、ワーグナー公演の宣伝のため、来日されたということで、ワーグナー協会で講演があった。この日は、ティーレマン・ドレスデンシュターツカペレのラインゴルト、ハーディング・パリ管の公演などが重なっていたが、聴衆は50人程度集まった。
 マエストロは新国立劇場でも2003年ホモキのフィガロ以来何作品も振っている。私は、東京以外では、2006年の聖金曜日に、パルジファルを聴いて以降、ライプツィヒとバイロイト生誕200年初期作品で6回マエストロのヴァーグナー作品を聴いた記憶があるが、ライプツィヒでは、いつもパッとしないというのが、正直な感想だ。でも今日、その理由が分かった。ライプツィヒという町の歴史と深い関係があり、あの大きな劇場は市民が作ったのではなく、旧東ドイツ社会主義の国策だったのだ。
 ライプツィヒは、ザクセン王国首都であったドレスデンと違い、商業都市として発展した。ヴァーグナーがライプツィヒで生まれ、優れた学校教育を受けたのは事実だが、二十歳で仕上げたスコア600ページに及ぶ「妖精」を劇場に持ち込んだところ、2週間の検討の末、歌手が歌えないと断られ、音楽監督にも見せたが採用されず、このことが、市への遺恨となったそうだ。
 現在のリングツィクルス が、東独社会主義時代のヨアヒム・ヘルツ以来、何と40年ぶりの新演出であり、ライプツィヒも二人ジークフリート体制で4日連続公演をしている。私も今年2月、ヴァルキューレとジークフリートを見ている。
http://gruen.blog.so-net.ne.jp/2016-02-21
http://gruen.blog.so-net.ne.jp/2016-02-22
 ヨアヒム・ヘルツの舞台(神話の世界でなく、初めてワーグナーの同時代として設定した)をパトリック・シェローが観ており、明らかに彼のバイロイトの演出に影響を与えたこと、またヘルツが当局から睨まれていたため当時の資料も映像も、写真すら残っていないことなど、現在目に見えない東独の影響がライプツィヒには存在することを知った。他にも興味深いライプツィヒの話を伺い、なぜいつもワーグナー公演がガラガラなのか、納得がいった。
 2022年には、初期作品も含め、ヴァーグナー全作品が、ライプツィヒ歌劇場のレパートリーになる計画とのこと。
 終了後、近くの蕎麦屋でごいっしょした。マエストロは来日回数も多く、おそばも上手に頂くが、アルコールは飲まず、専らMineralwasserだ。きちっとスーツを着こなし、さすがProfessorという感じ。
 生まれはブレーメン近くで現在も自宅があり、修業時代のウィーンや現在のライプツィヒもあくまで仕事場だそうだ。
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