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ワーグナー生誕200年レクチャー・コンサート  [コンサート]

 5月22日、ワーグナー生誕200年記念の日、サントリーホール小ホールで、ピアニスト・作曲家の野平一郎氏によるレクチャー・コンサートが開催された。ワーグナー協会の年刊誌に寄稿された内容を、実際の言葉と演奏で感動的に示して下さった。
 作曲家の先生のお話は初めてで、膨大な資料と格闘する研究者の先生方とはまた異なり,作品と距離を保ちつつ、作曲家としてのクリエイティヴな感性が尺度となっているところが、とても新鮮だった。
 まず、持論として、ベートーヴェンとワーグナーは緻密さと壮大さ両方を兼ね備えている共通点があること。19世紀の音楽は二等辺三角形で表現でき、頂点にベート-ヴェン、そこから二辺の方向に発展した底角は、当時水と油と言われていた、ワーグナーとブラームス。他の作曲家たちは、底辺の角のどちらかの作曲家へ至る途中のどこかに位置づけることができる。そして、20世紀の作曲家は、ワーグナーの影響を受けつつも、これを否定し、ドビュッシー、ストラヴィンスキーのように、三角形とまったく違う場所から発生したとのこと。
 実際にピアノでラインゴルトの指環の動機がヴァルハラの動機に変化していく、場面転換のことろを弾いて下さり、調やリズムが変わっても、元が同じであると説明されると、移り行く心地良さだった音が、一貫したものとして、より強くクリアに聞こえてきて、あの盛り上がりは、さらに気持ちを熱くする。
 違いを探すより共通点を見つける方が心地よいのは、何故だろう。
 モーツァルトとベートーヴェンの音楽は子供のときから近くにあったが、ワーグナーに近づいたのは人生折り返し近くなってからだ。後期のベートーヴェンが暗く重く濁っているのに気づいたときは、高校生くらいだろうか、何だか難しいと思って近づかなかったが、今ワーグナーからさかのぼって、ベートーヴェンに至ると、ベートーヴェンの苦悩を勝手ながら想像できる。このごろ良く思うことだが、ベートーヴェンはもっとロマンチックに音楽を書きたかったのではないだろうかと。
 でも、形式やテンポにのっとって、その中で全てを表現しようとするので、演奏者が悲鳴をあげるほど難しい楽譜になってしまうのではないかと。作品110ピアノソナタ変イ長調はこの規範が少し緩められていると先生がおっしゃり、そう思って聴くと、ほんの小さなきっかけからメロディが生まれる不思議なフーガは、革新的だと分かる。
 ベートーヴェンの沢山のピアノソナタを後ろから聴くのも一つ聴き方だと気付かされた。
作曲家の進む道として、地獄落ちのドン・ジョヴァンニのあと、美しい魔笛を書いたモーツアルトと、リングで世界の終わりを表現した後、清らかなパルジファルを書いたワーグナーには共通点があるように思うという興味深いお話も伺えた。(G)
ワーグナー:M.W夫人のアルバムのためのソナタ 変イ長調
ベートーヴェン:ピアノソナタ31番 変イ長調
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