ヴェネチアの風景 フェニーチェ劇場-トスカ リド島 ワーグナー [オペラ(海外)]
21日午後ヴェネチアに着いた。・・未知の世界。サンタルチア駅を出ると、目の前は本当に運河だった。
取りあえずサンマルコ広場まで歩こうと思い、暗い迷路のような細い路地を歩き、30分以上掛かってようやく広場に出た。海の方へ(実は運河だった)行くと潮の香りがする。本当にゴンドラがあり、映画と同じだった。運河にかかる大きな橋から見る風景が、昔の絵画と変わらないように感じるところがヴェネチアの凄さだ。
サンマルコ広場 塔の上からの眺め
2日目はまず、サンマルコ寺院とドウッカーレ宮殿を見てから、Lido島へ行った。本当に白砂の海岸で海水浴をしている人がいた。空は快晴、海は青く、全く別世界だ。ここが公衆の海水浴場とは・・・私もしばらくアドリア海の青さに釘づけになった。
変わらぬ風景 リアルト橋から
運河からサンマルコ
ゴンドラ留め
リドの海水浴場
次はHotel des Bans の横を通り、真っ白なヴェネチア映画祭の建物まで歩いた。この高級リゾートは白がよく似合う。戻りはバスにのり、Hotel des Bansで降りて思い切って、中へ入ってみることにした。入口にはシュラトンのSマークが付いている。入口も本当の正面は開いていない。こういうとき、フランス語がものをいう。回転ドアーを入り、ちょうど出ていたレセプションの男性に、「自分は泊り客ではないが、ちょっと中を見せてもらえますか?」と聞くと、あっさり「どうぞ」というので少し歩いて、ついでにトイレも借りてしまった。本物の大きなロビーは見ることができなかったが、憧れのホテルに足を踏み入れることができた。
ワーグナーの亡くなったヴェンドラミン館(大運河より)、動いている船から撮るので、杭がレリーフに掛かってしまい、2往復してやっと撮影に成功した
その中庭
23日Fenice Tosca 席は4Rangの舞台から2席め、手すりから身を乗り出して、舞台を覗き込む席。従って、カーセンの演出も舞台の奥までは見えなかった。
一幕が教会か劇場かは見えなかったが、トスカの歌を聴きに来ている聴衆は黒服だったので、教会の演奏会の設定だろうか・・ピットの真上の席だったので、指揮もオケもとてもよく見え、よく聴こえた。
トスカはいつ聴いても美しい。トスカの声はかなり太いような印象だった。男声陣もみんな素晴らしかった。なぜか、ピットにキュッヘル氏そっくりな人が入ってきて、1stVnの一番後ろで楽しそうに弾いていた。ありえないかなあと思いながら、食い入るように観察した。
余談だが、イタリアではドイツ語はかえって混乱をきたすが、自分がちょっと不利なときに英語でなくフランス語を使うと、うまく事が運ぶような気がする。
ベルガモで切符に刻印するのを忘れて乗車したとき、後から来て私に荷物をどけろと二席取った、気位の高いおばさんと車掌さんに、しょうがない東洋人だなあという視線を浴びられる直前に、さっき駅で買ったのですが、うっかり忘れてすみませんとフランス語でお詫びをすると、表情が一転し許してくれた。
des Bansもドイツ語よりよい結果になったのではないか。英語では汚い子供の観光客と思われてしまったと思う。箔が付く言語はやはりフランス語だと実感した。フェニーチェ劇場でもチケット売場の人はドイツ人への対応が冷たかった。ドイツ語は分からないとはっきり言っていた。
どうしても、言いたいことは英語、プラスアルファを期待するときは、フランス語、文句を言うなら、ドイツ語というところだろうか。(G)
取りあえずサンマルコ広場まで歩こうと思い、暗い迷路のような細い路地を歩き、30分以上掛かってようやく広場に出た。海の方へ(実は運河だった)行くと潮の香りがする。本当にゴンドラがあり、映画と同じだった。運河にかかる大きな橋から見る風景が、昔の絵画と変わらないように感じるところがヴェネチアの凄さだ。
サンマルコ広場 塔の上からの眺め
2日目はまず、サンマルコ寺院とドウッカーレ宮殿を見てから、Lido島へ行った。本当に白砂の海岸で海水浴をしている人がいた。空は快晴、海は青く、全く別世界だ。ここが公衆の海水浴場とは・・・私もしばらくアドリア海の青さに釘づけになった。
変わらぬ風景 リアルト橋から
運河からサンマルコ
ゴンドラ留め
リドの海水浴場
次はHotel des Bans の横を通り、真っ白なヴェネチア映画祭の建物まで歩いた。この高級リゾートは白がよく似合う。戻りはバスにのり、Hotel des Bansで降りて思い切って、中へ入ってみることにした。入口にはシュラトンのSマークが付いている。入口も本当の正面は開いていない。こういうとき、フランス語がものをいう。回転ドアーを入り、ちょうど出ていたレセプションの男性に、「自分は泊り客ではないが、ちょっと中を見せてもらえますか?」と聞くと、あっさり「どうぞ」というので少し歩いて、ついでにトイレも借りてしまった。本物の大きなロビーは見ることができなかったが、憧れのホテルに足を踏み入れることができた。
ワーグナーの亡くなったヴェンドラミン館(大運河より)、動いている船から撮るので、杭がレリーフに掛かってしまい、2往復してやっと撮影に成功した
その中庭
23日Fenice Tosca 席は4Rangの舞台から2席め、手すりから身を乗り出して、舞台を覗き込む席。従って、カーセンの演出も舞台の奥までは見えなかった。
一幕が教会か劇場かは見えなかったが、トスカの歌を聴きに来ている聴衆は黒服だったので、教会の演奏会の設定だろうか・・ピットの真上の席だったので、指揮もオケもとてもよく見え、よく聴こえた。
トスカはいつ聴いても美しい。トスカの声はかなり太いような印象だった。男声陣もみんな素晴らしかった。なぜか、ピットにキュッヘル氏そっくりな人が入ってきて、1stVnの一番後ろで楽しそうに弾いていた。ありえないかなあと思いながら、食い入るように観察した。
余談だが、イタリアではドイツ語はかえって混乱をきたすが、自分がちょっと不利なときに英語でなくフランス語を使うと、うまく事が運ぶような気がする。
ベルガモで切符に刻印するのを忘れて乗車したとき、後から来て私に荷物をどけろと二席取った、気位の高いおばさんと車掌さんに、しょうがない東洋人だなあという視線を浴びられる直前に、さっき駅で買ったのですが、うっかり忘れてすみませんとフランス語でお詫びをすると、表情が一転し許してくれた。
des Bansもドイツ語よりよい結果になったのではないか。英語では汚い子供の観光客と思われてしまったと思う。箔が付く言語はやはりフランス語だと実感した。フェニーチェ劇場でもチケット売場の人はドイツ人への対応が冷たかった。ドイツ語は分からないとはっきり言っていた。
どうしても、言いたいことは英語、プラスアルファを期待するときは、フランス語、文句を言うなら、ドイツ語というところだろうか。(G)
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