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パリ・バスチーユオペラ座-パルジファル [オペラ(海外)]

 パリのワーグナーがいったいどんな音がするのか、今回一番の楽しみだった。開演前舞台上のアクリル椅子から、ここでグルネマンツと子供らが話すのだろうことは見て取れる。
 前奏が始まり、エッと思った。さっき聞いたミサの太い声と同じ音質に聞こえたからだ。つまり人の声のようだった。進むに連れてオケの音が楽器ごとに分離せず、よく交じり合い声とも解けあっているのがとても心地良くなって来る。全体を通じて甘く美しく、ライトモティーフを際立たせたりしないのは、指揮者の趣味かオケの意志なのか。クリングゾールのテーマで、不気味さを感じるとか、グラールを開く時の、えもいわれぬ美しさとか、メリハリのある感激は無いが、とにかく隅々まで美しいので、魔法にかかったように骨抜きになってしまい、これはこれでいいやという気持ちになった。
 一幕合唱場面ではやはり女声と少年の声の太さに特徴を感じた。少年のところは声の感じからして女声だったのかもしれない。声は客席上方から聞こえたが、距離によるずれはなく見事だった。
 フレンチボウのCbは本当に気楽に見える。チェロがあんなに熱演しているのに、涼しい顔で直立不動のままだ。二幕冒頭も、燃えたウィーンのティーレマンやドレスデンの迫力とは別物のように、何ということなく通り過ぎてしまった。
 低弦を補うためか、聖堂の場面でTimpは二人だった。ハープも二人、ピットにはマイクも立っていた。
 やはり、音楽は言葉と関係が深いと身にしみて感じる。フランス語は細かい感情表現がしやすく、ちょっとした抑揚で相手の気持ちを察する、調和を重視する心やさしい言語だと思う。だからだろうか、音楽のメロディーラインも自然に、感情に訴えかけるように流れてくる。思うに、自然に演奏するとああなるのではないかと思う。フランスのオケは、決してドイツ風にできないわけではない。ドイツ的指揮者の下では、その要求に応えようとするのは、体験済みで知っている。
 パルジファル役のVentrisは病気で、Stig Andersenに変更、何となくジークフリートみたいに思えてしまった。
 マイヤーのクンドリは世界一、彼女の右に出る者はいないだろう。女優のような演技で、あれだけの歌える人は居ないだろう。最終公演ということもあり、オケメンバーからも大きな拍手を受けていた。
 ウィーンの藤村さんも、声は素晴らしいが、色っぽい演技は日本人にはむづかしい。二幕の花の乙女たちの場面は今まで見た物の中で一番凝っていて面白かった。演劇性が高く、ムーランルージュに出てくるような、つやっぽいパリの女性たちは、一人一人の演技、仕草も美しく、人材があって初めて演出が可能になると痛感する舞台だった。
 ソロを歌う花の乙女の中に東洋系の人が居たが、声は美しいがやはり品を作るのに難がある。体形の良さもあるかもしれないが、西洋人の方が生来色っぽいのだろうか。
 演出について、三幕初めに大きなブーが出たことも事実だが、まだ3月プレミエのニュープロダクション、詳細は専門家がたっぷり語ってくれると思う。
 私としては、芸術の都パリの波に飲まれ身を任せてしまい、原作云々を超え、音楽と舞台と、どちらが勝るわけでもない新たな作品を体験してしまった、というのが本音だ。(G)
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