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ウィーンフィル-ティーレマン・運命 [オーストリア]

3月25日
 ムジークフェラインでのティーレマンの演奏は素晴らしかった。席が二列目の右端だったが、指揮とキュッヘルさんがすごく良く見えて、コンマスの音は逐一聴き取れた。
 久しぶりに拝顔した表情はお年を召した感じはあるが、腕前は全く衰えを感じさせない。キュッヘルさんを敬愛する、友だちのVnの弾き方が本当にそっくりであることを発見した。 

 一曲目、モーツァルトのFgコンチェルト、ソリストはもちろん自前。Fgの音色が私の中のイメージとずいぶん違った。もっとずっと柔らかく、誉め言葉になるかどうかわからないが、サックスのような、まろやかで、美しい音だった。
 2曲目がシューマン・ライン、指揮者のしつこい注文に対し、これでどうですか?応えているようだった。面白いのはティーレマンは指揮をしながら、その瞬間に結果を要求しているように見えることだ。普通の指揮者は指示を出して、先に行く。でも彼はそこで実行してくれたことを確認してから進むように感じる。
 後半がなんと運命!この選曲はすごい挑戦だ。今回ウィーン指南して頂いた達人も、ウィーンフィルで古典的、運命を振ることのすごさを説明してくれた。本当にそう思う。また弾く方の立場からすると、運命はプロもアマも大好きな曲だ。とにかく燃える。
 ウィーンフィルも例外ではない。キュッヘルさんはもちろん1stVnのみんなも表情も弾き方も、「任せてくれ」と生き生き、思いっきり弾ききっていた。
 ムジークフェラインは建物自体が楽器のようだ。コンツェルトハウスで聴くのとずいぶん違う。各楽器の音色がパート内で熟成され、しかもそれぞれがよく分離して聞こえ、本当に美しい。終楽章への導入部分も、なにひとつ包み隠さず、見事だった。こんなすごい運命を聴けて幸せだ。

 ウィーンフィルの前に、シュターツオパーのバックステージツアーに行ってみた。日本語の時間と合わなかったので、ドイツ人用の熱心なグループに参加した。
 先日初台の新国立劇場のツアーに参加したばかりなので、何となく意欲の差を感じてしまった。物理的な話では、客席の上の階(Rang)は7人ずつの個室Rogeになっている。かつては一家族で使えるように作られたもので、コートかけもついている。
 舞台の高さ深さは新国立劇場には及ばないが、舞台袖の広い床は毎年張り替えていても、こんなにぼろぼろになるというのには驚いた。初台の舞台袖では、もうこんなに傷ついてしまったという案内があり、どうするのかと思っていたところだった。
↓オケピットより

 この劇場ではマーラーとカラヤンの果たした役割が大きいと、ミュージァムにも書いてあった。カラヤンはさておき、マーラーの時代、オペラは映画のように出入り自由で一日中テレビをつけたり消したりする感覚で劇場に人が集まっていた。
 それを止め一日一演目、パウゼも決め、そのため、雑談スペースとして、広間も用意した。また、ガス燈や舞台の火事を恐れて、客席は暗くしたそうだ。マーラーは劇場改革者であったようだ。

 25日夜のドンジョヴァンニは2ユーロの立ち見で観た。立ち見を確保してから、売り切れの座席チケットの様子を偵察に行ったりしたので、手すり席はとれず、階段の途中に立った。よく見えたが、
つかまるところが無いのはやはり厳しく何度もふらついて、危うかった。

 翌26日(日)、今日から夏時間と気づいたのは、空港行きのバスに乗ったときだった。来週と錯覚しており、危ういところだった。早すぎたと思ったバスが理想的な到着時刻で、有難かった。冬時間になる時は二回経験したが、夏時間になるのは初めてだ。宙に消えてしまった一時間は取り返すことができない。(G)


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