SSブログ

東京・春・音楽祭ーニュルンベルクのマイスタージンガー [オペラ(国内)]

 N響を指揮した後のインタヴューで、オケを褒めるゲスト指揮者をよく見るが、やはりどんな楽譜も正確に音にする技術が優れているのだろうと思う。リングやパルジファルに比べれば、N響にとって、ずっと身近なワーグナー作品で、演奏しやすいのだろうが、きちっとした演奏だった。指揮者ヴァイクレもバイロイトでマイスタージンガーを振っており、N響とはどんなコミュニケーションをとったのか興味深い。
 この日、弦楽器の冷静な演奏と、心かき乱される演奏との違いの一つを体感した。一番わかりやすいのが、ソロや主席の重奏のところだが、ティーレマンやバレンボイムで感じる、音の揺らぎは、一つの音の中に、どれだけの感情や、音楽が向う方向を表現させるか、音の密度ではないかと思う。メロディーラインの長い音の歌い方が、器楽曲とオペラでは違うようで、オペラでは楽器も声のように演奏してほしいという欲求が自然と生まれるのかもしれない。本番の指揮だけでは、音の揺らぎがどのように表現されるのかは、私にはわからないけれど。
DSC02750.JPGDSC02752.JPG
 演奏会形式で字幕が大きく、重唱のところは、時間差で複数出て、新しい試みもあったが、舞台演出が無い分、唐突に歌詞がやってくるように感じたところもあった。自分の中では、場面を補って聞いているので、つい盛り上がりが足りないように感じてしまうのかもしれない。 
 指揮が難しいという、2幕の最後の大騒ぎの場面などは、舞台上の動きが無ければ、オケも合唱も乱れないことが証明された一方、例えば背景の絵を一つでも変えたら、もっとこの場面が盛り上がりが客席にも伝わった気がする。
 今回、座席は上方サイド最後列だったので、つい舞台を向いて聞いてしまったが、3幕のザックスの家での5重唱のとき、初めて、ホール空間全体に響き渡るハーモニーに気づき、客席方向に向き直ると、空間を伝わるハーモニーは、本当に美しかった。
 個別には、バイロイトで歌っていたベックメッサー役エレートが、初め鼻声で心配したが、3幕では演技つきで、不調をふっきれた通る声で、舞台を盛り上げてくれたと思う。ポークナー役、人気者のグロイスベックは、人懐っこく、サインもにも快く応じてくれる、いい感じのバスだ。アランヘルドは渋めのハンスザックスで、演出により役どころは違うため、演奏会形式だと、本来の地味で気難しい親方気質がきちっと伝わるものだと思った。フォークトの美しいホルンの音色のような生真面目な声を聞く前は、若い騎士の役柄とテノール歌手の外見のギャップで、あまりヴァルターに感情移入できなかったが、清く美しい若者のイメージに、今のところ、40代初めのフォークトはぴったり合っていると思う。
 来年の東京の春音楽祭から、いよいよ指環が始まる。ヤノフスキー指揮の演奏会形式ということで、変更なければ、ベルリンのレベルを持ち込んで、完成度の高い本番になるよう、期待したい。(G)
DSC02757.JPGDSC02756.JPG

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0