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バイエルン国立歌劇場-さまよえるオランダ人 [オペラ(海外)]

 2006年プレミエのコンヴィチュニー演出のオランダ人、当時かなり話題になったが、最近はコンヴィチュニーの考え方が、オペラファンに浸透してきたので、私も当時見たときほどの違和感はなくなっていた。
 指揮は大野和士さん、ミュンヘン初登場で、私が聴いたのは3回目・最後の公演だった。席がオケ横のロジェだったので、大野さんの指揮ぶりを初めて間近で見た。全体にきっちり振って、力の入るところは、思った以上にエネルギーを込めて、棒先を震わせていた。以前、ベルリンドイチェオパーのピンチヒッターでタンホイザーを聴いて以来で、あのときは穏やかで手堅いなという印象だった。オランダ人は激しく起伏のある音楽なので、特別強烈ではないが、十分恐怖感迫るものだった。幽霊船との合唱のところは、やはりずれてしまったが、いつもはらはらするこの場面、解決策はないものだろうか。カーテンコールでひとりだけ少しブーを受けていて、残念だった。
 大野さんは歌手にとても気を配って振ると、以前モネ劇場のお話のとき、伺ったことがある。誠実なお人柄が大野さんの音楽ならば、もはや若手ではないオペラ指揮者として、ドイツでも頻繁に聴けるようになるといいなと思う。
 歌手は皆、歌も演技も素晴らしい。怒ったエリック役のフォークトがゼンタ役のカンペを思いっきり突き飛ばし、カンペは転んでかなり手が痛そうなシーンがあったが、フォークトをこんな間近で見たのも初めて。甘い声は、ちょっと女々しい男性役にぴったりなどというと失礼だが、母性本能を刺激する。
 演出について、幕切れで、ゼンタがドラム缶に火をつけて大爆発を起こし、舞台は暗転オケも止まり、その後はラジカセのような音で音楽が残る。19世紀の女性の不条理な犠牲は、まさに悲劇の終末、カタストロフィであり、それを現代に適応すると、全てを失い全てが変わるという、ちょっと自爆テロの映像を連想するような無に帰す悲劇と言えるらしい。しかし、昨年東北の大震災を経験した私たちとしては、今はもっと現実的なカタストロフィをイメージすることができる。
 また、ブレヒトを引用して、社会の中で援助を得るにしても、拒むにしても暴力(権力)はつき物だと。だから助けを求めるのではなく、社会の暴力や権力を撤廃すべきという、他の作品にも共通する、要求するより、今の不条理をうち壊す演出の根拠が説明されている。
 でも、今感じることは、社会を変化させる要因としての大災害。世界各地の自然災害と、様々なオペラ演出の狭間に身を置き、今は、精神的に救われ、希望を感じる舞台演出も、一方で求められているのではないかという、心のしこりのようなものを感じる。(G)
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