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「愛の死」への道行き《トリスタンとイゾルデ》試し読み [その他]

 ワーグナー協会例会で、池上純一郎先生のトリスタンとイゾルデの講演があった。前回先生のトリスタンの話を聞いたのは、4年以上前のようで、その時も感じたことだが、凡人はテクストを読み、不思議だと疑問を持っても、つい読み流して、いつしかそういうものだと受け入れてしまう箇所を、徹底的に追究するのが学者先生なのだ。
 トリスタンとイゾルデは”Handlung"であり、”Musikdrama"楽劇でも、Parsifalの”Bühnenweihfestspiel ”舞台神聖祝祭劇でもない。Handlung とは何か、日本語では「行為」「筋立て」と訳され、ここでは愛の死へ(心中、情死)向かうプロセスであり、「道行き」と捉える。
 一幕には、二人がお互いの愛を自覚するというドラマがあるが、薬を飲んで2幕以降は、二人の対話はなく、各々のモノローグだけで、これが、2幕が退屈だと言われる要因と想像される。行為というものがあるとすれば、トリスタンの自殺行為だけだ。また二人とも外界への反応は無く、マルケの長い独白や問いにもトリスタンは答えず、イゾルデに対し、自分についてくるかと問うあたりは、異次元の二人を感じるところだ。3幕に入っても、トリスタンはクルヴェナールの声に反応することなく、モノローグが続く。愛の死は、イゾルデの最後のモノローグである。
 近松の心中天網島の「道行き」も確かに異次元空間に身を置いてのモノローグ。
 説明しがたい、トリスタンとイゾルデがいる時空と、場面の現実世界が共存している、難しいテクストを、道行という概念で読み解く鍵が、奥深い講義の中で伝授された。
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