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タマーシュ・ヴァルガ 無伴奏チェロ・リサイタル 紀尾井ホール [チェロ]

 タマーシュ・ヴァルガ(チェロ)のバッハ無伴奏2番、4番とコダーイ無伴奏ソナタ を聴いた。ヴァルガはウィーンフィルの首席奏者だが、今年の夏、ウィーンフィルと離れ、ザルツブルグ音楽祭でなく、バイロイト音楽祭のオケピットで首席を弾いていた。市内のマチネコンサートでは、開演前、お早うございますと日本語で挨拶してくれたり、祝祭劇場裏で見かけ、軽く会釈したら、あちらから近づいてきてくれるほど、何と構えない人なんだと驚いた。それ以前の接点は、若くしてウィーンフィル主席になった直後の、東京での公開レッスンを聴講しただけで、今回の紀尾井ホールが、私にとっては初めての真剣勝負のリサイタルだった。
 時代とともに、バッハ無伴奏の弾き方は変化してきて、2000年か少し前ごろから、原典版を採用するのが一般的になり、ボウイングもオリジナルに近くなり、バッハは自由に弾いてよいというお墨付きは過去のものとなったようだ。
 初めて聴くヴァルガのバッハは、今の自分にとって、まさに聞きたいと欲している無伴奏に近く、嬉しかった。柔らかい音色と自由自在に変わる響きは、どこか天井が高い欧州の教会で聞いているようで、空中に浮遊する和音は、ピッタリはまり、色の変化がドキッとすほど美しい。座席は一階バルコニー左、舞台上手上方にあたかもステンドグラスがあり、窓を通して入ってくる光が様々な色の変化をもたらすような色彩感を感じ、とても素晴らしいと思った。
 一つの組曲で、音楽が途切れることがなく、全曲終るまで弓を下げない。フレーズもどこまでも続き、区切りというほどの間は取らない。このあたりは、ペレーニの教えに共感しているのだろう。これぞ右手左手ともに最高のテクニックのなせる業だが、山や谷があっても、どこまでも道が途切れない、ずっと続く安心感を味わうのは、久しぶりの気がする。自己都合による、間も呼吸もなく、表現されるべき音楽がまずあり、それに導かれる演奏という感じがした。
 コダーイの一楽章は、以前はシュタルケルの、松ヤニが弦とこすれるような激しい演奏が主流かと思っていたが、同じハンガリー人のヴォルガは、ペレーニともまた違い、全般にわたって潤いのある音で、起伏や衝撃よりストーリーを語るような連続性を感じた。弓の毛を切っても、音は汚くならず、垂れ下がる毛を左手で切る間も、音楽や楽章を途切れさせず、はっきりと、音楽が主体、奏者の都合は微塵もなかった。
 シュタルケルもペレーニも、公開セミナーの際、コダーイは、誰よりも自分が知っているという自負を強調し、この場だけで、伝えたい本質をとても言い尽くせないという場面を見たことがある。コダーイへの誇りが継承されつつ、直接作曲者を知らない時代が始まったんだのだと気づく。
 あえて、比較する気はないが、仙人か修行僧のような感じのペレーニに対し、ヴァルガはちょっとは事故も起こすし、正直でひたむきな人柄が伝わってくる。テクニックの苦労を聴衆に気づかせない、作品主体の音楽を体現する二人のチェリスト、どちらも好きだ。
 終演後サイン会があり、帰るお客さんとほぼ同時に、にこにこと、ロビーに現れたのには驚いた。自分の音楽を聴きにきてくれたファンを大事にする、飾らない人なんだう。(G)

ヨハン・セバスティアン・バッハ:無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV1008
ヨハン・セバスティアン・バッハ:無伴奏チェロ組曲 第4番 変ホ長調 BWV1010
ゾルタン・コダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ Op.8
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