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Liebesverbotについての講演 [その他]

 協会例会でDas Liebesberbot(恋愛禁制)を日本語に翻訳された 松原良輔先生の作品解説を聞いた。題名の日本語訳から、シェークスピアの「尺には尺を」との相違点、各登場人物のキャラクター、筋書き意図など、細かく、分かりやすく説明して下さって、とても楽しかった。
 この夏、マイニンゲンで見た舞台が、最後を除いて、原典に忠実であることも分かった。あれは、最後、話を丸く納めず、多分イザベッラが、社会を変革しようとするテロ なのだろう。腑に落ちなかった場面、例えば、イザベッラが修道着を脱ぐシーンにルーツィオが驚く場面が強調されていたのは、これを機に、まだ不安定な修練女のイザベラが、神様でなく、現実社会にもどる、踏ん切りをつける意味であったこと、また、唯一のテノールの美声を披露するのが、悪代官フリードリヒであること、看守相手の裁判の真似事など、登場人物や、場面の「深読み」を学んだら、全て合点が行く。
 作品成立当時、16世紀に無礼講のカーニバル、結婚以外の恋愛など、社会の秩序を乱す行為が禁止されていたという設定は、無鉄砲であり得ない法律ではなかったということも知り、音楽の方も、一つの重たい動機を確認すると、自ずと社会劇のテーマが浮かびあがってくると気づき、ワーグナー生誕200年に向け、ありがたい予習をさせて頂けた。(G)
http://gruen.blog.so-net.ne.jp/2012-07-08-3

NHK交響楽団-ロリン・マゼール「言葉のない指環」 [コンサート]

 N響の「言葉のない指環」初日、アマオケ仲間に誘われ、当日券を買った。何年か前、とても苦労して演奏したこの作品を、編曲者マゼール自身が指揮するのをやはり聴いてみたかった。
 初めてこの編曲のCDを聴いた当時の印象は、もっと良い場面もあるだろうと期待感が満たされた訳ではなかったが、編曲意図が、原譜の音を音楽が途切れないようにつなぐことにあると教えてもらった。勿論、聴くと弾くとは大違いで、あの重厚な音が紡ぎだされるには、音が溶け合う前に、各楽器が、孤独に耐え、自分の役割を死守せねばならないことを体験した。
 最近、リング以外のワーグナーを聴く機会が多かったので、久しぶりにリングの音楽に出会うと、それぞれの場面が、静止画のイメージとして次々送られていった。そして、やっぱり編曲や抜粋は、個人の想像力で補って聴くようにできているのかもしれないというあたりに落ち着いた。
 今回一曲プロにしたのに、マゼールが満足した演奏だったとはちょっと思えない。二日目の方が、きっとアクシデントは少なかっただろう。黄昏の30分は、安心して聴けたが、三階席のせいか、弦の音が管にかき消されてしまう。全部の音符を弾いて音量も出すのは至難の技、視覚的にも、いつもより冷静に無理せず仕上げた印象を受けた。そんな中、弾きたくて参加したエキストラなのか、所々エネルギー全開な奏者は目立つ。
 ともあれ、ワーグナーでゲストコンマスを呼ぶことが定着したのは嬉しいこと、オケにとっても、聴衆に とっても得るものは大きいと思う。今回はアムステルダムコンセルトヘボウのコンマス、ヴェスコ・エスケナージ氏。
 日曜に、マゼール/ベルリンフィルのCDを見つけて復習。すると、ばっさばっさと、場面は切り取られているものの、残っている音楽は、とても表情豊かで、そこの場面に至るまでのイメージが膨らむ。聴く時の構えによって、手に届くもので、欲求を補う覚悟も、今後自分の「黄昏対策」に必要になるかもしれない。(G)

ピーター•グライムズ 新国立劇場 [オペラ(国内)]

 初めてブリテンのオペラを聴いた。ブリテンの曲で実際演奏したことがあるのは、 青少年のための管弦楽入門、 シンプル・シンフォニーのみで、多くの作曲家たちに対して、いつしか出来ている固有のイメイージは、ブリテンの音楽に対しては無い。そんな意味で、真っ新な気持ちで聞けるブリテンのオペラが、まだ幾つもあることは、嬉しいことだ。
 初めて接したペーターグライムスの音楽と、モネ劇場、英国ロイヤルオペラで採用された舞台について、初めプロローグの暗さと激しい音に困惑した。ある程度覚悟はして来たつもりなので、何を見たのかよく分からずとも、話の筋を了解して待つと、程なく光は差し、間奏曲からは美しさが感じられ、進むにつれて、どの間奏曲もとてもきれいだった。何となく、知っている音楽と似ていると感じたのは、ヴォツェックとカルミナブラーナだった。ショスタコーヴィッチも連想した。あちこちで美しいメロディーと、暗い激しい音楽が、重なって解け合わず進行していて、そのどちらか好きな方を選んで聴くことも許されているのかなと、ふと思った。
 小さな村の閉塞感、ゴシップの恐怖、エネルギーをコントロールできない自己の疎外感と虐待、これだけでも、私の世代には、現代社会に共通すると思う前に、少し前の話として、実感できる。やはりこの作品を見ることが辛い。日本のかつての白黒映画にも、こういうテーマはあるのではないだろうか。でも、社会派オペラとして貫いたことは凄いと思う。
 歌手は、心の内面を歌うので、表現力が要求される。あのフォークト氏も、歌い甲斐があると話していたっけ。
 プロローグの音楽こそが、価値があると言われれは、次回はその気で聴くけれど、あえて細かな舞台がなくとも、ストーリー説明だけで、もう十分言いたいことは伝わる気がする。音楽の音のイメージとして、金管の激しいところなど、もっとカラッと、突き抜けるように透明に演奏しちゃってほしいと思ったが、海辺のどんよりした風景の中、怒り、嫌悪感も陰湿なのかもしれないと、思いなおしたりしながら聴き終えた。
 ブリテンは20世紀の人なので、いくらでも作曲家本人の考え、行動など、正確に追うことができる。余計な想像はせず、まずは体験終了。(G)

東京でオクトーバーフェスト? [ビール]

 今頃本家では最後の盛り上がりを見せているであろうオクトーバーフェスト、横浜やお台場で日本版をやっているようだが、天気もはっきりせず、近場の新宿「Zum BIERHOF」に行って来た。
 靖国通り沿いの怪しげな雑居ビルの5階、ホフブロイハウス公認という割には、中は本場と比べればはるかに狭いが仕方がない。大分以前、ここより花園神社よりの地下に、もう少し大きいその名も「ホフブロイハウス」があったのだが、どうなってしまったのだろうか?結構盛り上がる店だったが・・・
 まずヴァイスビアを頼むが、少し冷やしすぎの感じ。次にオクトーバーフェスト用Massを大枚2300円払って注文、これはなかなかのお味で満足感あり。
 周りを見ると定番鳥の丸焼きもあり、本場に近い雰囲気だ。アイスヴァインも骨付きで見た目は本物だが、食べてないので味は分からない。ただ、やはりここはハクセにすべきだろう。
 概して料理は量も含めて見た目本物っぽかった。BGMが一切ないのも好感。それで無音のプロジェクター大画面で流し続けるオクトーバーフェストのテントが、Hacker-Pschorrなのはご愛敬。(B)
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