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日本音楽コンクール受賞記念演奏会(名古屋) [コンサート]

 名古屋の愛知芸術劇場コンサートホールで、指揮松尾葉子/セントラル愛知交響楽団とのコンチェルトの共演があった。何回かの地方公演を経て、名古屋では皆さん堂々たるソリストして、若さが漲る演奏を聴かせてくれた。4人とも本当に素晴らしかった。4/22(日)は霧島(鹿児島)で、同じメンバーでピアノ伴奏の演奏会。
 ロココはどちらかというと音楽性より、高度なテクニックを披露する曲で、その妙技に客席が驚嘆するところが、楽しみどことだ。今回、所謂クラオタでない友人と聴きにいったので、その反応がよく分かった。指板に吸い付くような左手の指に目が行き、右手のテクニックは見落とされがちだが、岡本さんは、終始ニコニコと楽しそうに、次々と難関をクリアし、さらっと弾き終えた。ロコロの色々な演奏を聴いたことがあるが、難しいことをアピールしながら弾く人は多い。友人も驚き、何故ニコニコしているのかと尋ねられ、音楽が楽しいからなんだと言うと、不思議そうだった。
 これから世界に羽ばたく若者には、貴重なオケとの共演、真剣さも格別だ。そういう純粋さが伝わってくるのがとても心地よい。名古屋でも指揮者とオケが、優しい眼差しをソリストに送っていた。若い才能を賛美する気持ちは、共通なのだ。皆さん、ご成功おめでとうございます。(G)

(新情報)7月22日鹿児島霧島国際音楽祭で、下野竜也指揮 鹿児島交響楽団 と岡本さんがハイドンD-durを共演する。http://www.kirishima-imf.jp/concert/index.html

共演:松尾葉子指揮 セントラル愛知交響楽団
・藤江扶紀(バイオリン)
サン=サーンス:バイオリン協奏曲 第3番 ロ短調 作品61
・岡本侑也(チェロ)
チャイコフスキー:ロココ風の主題による変奏曲 作品33[原典版]
・西村悟(声楽)
プッチーニ:歌劇「トスカ」より“妙なる調和”
ガスタルドン:禁じられた音楽
チャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネーギン」より“何処へ行ってしまったのか、我が青春の日々よ”
プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」より“誰も寝てはならぬ”
・浜野与志男(ピアノ)
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品23
オアシス21 上空の池から下を覗くと海中のように見える
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愛知県芸術劇場コンサートホール
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タンホイザー-東京春音楽祭 [オペラ(国内)]

 オケの後方の高い位置で歌うステージは、自分の声が聞こえず、響きがわからないと、グールド氏が話していたので心配してしまったが、全体的には期待を超え、とても満足した。
 一幕冒頭では、どんな声で歌いたいのか、定まらない声質とピッチに、はらはらしたが、だんだんと、歌手陣とオケの音程が寄り添ってきて、2幕は歌も音楽も生き生きとして、こちらの気持ちも高ぶってきた。グールド氏の声については、2幕で限界かと気をもまされたが、3幕では本領発揮し、譜面台も一切取り払われ、ローマ語りは、まさに自分らしさを表現したと思う。インタヴューの時の話で、テキストが歌のカラーを決めるという実例を聞かせてもらった。
 N響の弦は美しく、Vnの一体感が気持ちよいところが一杯あった。一方、3幕の冒頭のような、木管楽器セクションのソロとなると、楽曲自体に不慣れな感じが漂い、正しいハーモーニーを探りながらたどり着かない歯がゆさを感じる。金管楽器の、遠くに視線を送るような息の長いフレーズは、美しい響きと共に聴けるともっと嬉しい。春の桜とともに、これから毎年N響にワーグナーを演奏してもらえる。マイスタージンガー、そしてリング、何れはパルジファルも再演してほしい。(G)
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ステファン・グールド氏に聞く [オペラ(国内)]

 上野でタンホイザーを歌っているグールド氏へのインタヴューを聞いた。私はまだ舞台を聴いていないが、多くの人が気になっている重大な問題、なぜ2幕4場練習番号H~K、Zum Heil den Südigen zu führen,・・の場面をカットしたかという点についての質問に対し、グールド氏の意図でなく、初練習で自分もショックだっとのこと。スコアにある注記は、タンホイザーが静かに一人で歌うので、合唱を休みにしてもOKという指示で、オケをカットする意味ではないのに、オケの楽譜がカットされていたとのこと。実際コーラスに自身の声をかき消された体験も披露された。どういうわけか、今回事件が発覚した際、カット部分を修復しないと決めたことへの違和感を感じる。指揮者はどう思ったのか、或いはたった2回の公演だから労力を惜しんだとか・・。後でDoverのスコアを見たら、その通り、加えてパリ版では、コーラスは省くことに改訂したと書いてある。
 グールド氏は、テノールの最高の時は40才代と言い、ヘルデンテノールをつくるには3種類に大別でき、1.リリックから重くする、2.バリトンから音を上げる、3.常にテノールの重い声から、と声質の違いがあるが、何れにしても最後まで歌い通せれば、ヘルデンテノールだとのこと。日本の聴衆は歌手をリスペクトするので、心地良いそうだ。去年新国立でのトリスタン初舞台を選んだ理由は、丁寧なリハーサルと公演回数が比較的多いことがあるという。凄く正直な人だと思うのは、公演の間に自分を育てるのに相応しい劇場だったからと、堂々と言えるところだ。ドイツ人の評論家から離れたところで、歌いたいというのは、本音のようだった。
 今51歳、声質にあった役を歌い、若いジークフリート役を歌う期限も考えているそうだ。言語感覚を養うため、母国語として話す国で生活すべきという先生の教えを実践し、インタヴュー中もしばしば先にドイツ語が出てワーグナーを語るのにとても好感がもてる。医学生一年で、歌手に転向した経歴を想像しても、知性派で、ワーグナーはテキストが歌のカラーを決めるという姿勢。観客のテノールに対する好みははっきりしているので、自分の路線で進むという、媚びないプライドの高さも好ましい。バイロイトでは発音が全てだと、言葉の端々に、ドイツで歌う時の苦労が伺えた。日曜の公演を期待したい。(G)